【書感SS】傭兵の二千年史

もしこの世界に”最悪な一日”というものがあるとしたら、それはまさに今日のことを言うのかもしれない。

彼は緊急開催された兵士集会での発言を、目減りしてきた羊皮紙にしたためた。分厚い雲が立ち込める。今にも雨が降り出しそうだ。

仮設のテントの中では彼がひとり、(外の世界とは決別したかのように)夢中になって数時間前からの出来事を記していた。彼はこの部隊の中でも、傭兵隊長お付きの記録係として同行していた。とりわけ達筆で、その几帳面さからこの様な役を与えられた訳だが、当初の予定では彼自身も長槍を手にして、我ら最高司令官が示す敵に向かって前へ前へ進むはずであったのだから、人生というものは何があるかわからないものである。

羊皮紙を闇雲に消費する訳にはいかないので、彼は顛末を頭のなかで何回も何回も繰り返した。何回も何回も何回も繰り返し、何を記せばいいのか考える。何が起きた。なぜ、外の世界は熱狂と狂気に包まれ、怒りが膨張し、彼らの足をかのローマに向かわせてしまったのか。彼は考えた。これは、誰のせいだ?

我らが隊長ゲオルク・フォン・フルンツベルクは、この怒りの群衆に対して、説得の声を上げたものの最悪の結末を残すのみであった。

今までそうした怒りの群衆の手綱を握り続けたこと(そもそもそれ自体に限界があったと思う)が、彼の体を蝕み、その叫びとともに彼の体から自由を奪ったのだ。卒中だ。彼は叫ぶ群衆の中で、声を掻き消され、白目を剥き地面に伏した。彼もその光景を目にしており、フルンツベルクが倒れた瞬間に目を見開いて、フルンツベルクに駆け寄ろうとしたが、すでにフルンツベルクは他の者によって抱き起こされているところだった。

群衆はその光景に一瞬息を呑んだが、その静寂は次の一声を余計に強調してしまい、彼らはもはや制御不能な集団と化してしまった。だから、これは一体、誰のせいなんだ?

 

「ローマだ!!!」

 

静寂を突き破る一声。誰が上げたかはわからない。

 

「ローマには金がある!金だ!」

「皆の衆、欲せ!さらに求めよ!いざ、進め!!!」

「進め!進め!」

 

フルンツベルクが抱きかかえられながら、狂気に目を染める群衆から退場する様。小柄な彼は、弾き出されながらもフルンツベルクの後を追った。背後から彼の背中を突き刺すような叫び声が聴こえる。狂気だ。止めようがない。

制御不能に陥ったこの群衆は掛け声とともに、地が割れんばかりの音を立てながら、闊歩し、進路をかの地ローマへと取った。彼らが進んだ後に残る踏み荒らされた草花が物語る。なぎ倒された草花は空を仰いで彼に問いかける。これは、誰のせいだ?

もはや叛乱でしかない。

確かに資金繰りが危機的状況で、彼らに渡すべき給料が手元に無いことが何にも増して原因していることはわかる。彼らは凍てつく山を超えてきたというのに、半月分の給料しか支払えていない。我慢の限界の先には、我らが父フルンツベルクへの忠誠というものがあり、我らが父フルンツベルクのその口から発せられた約束を信じることが出来たのだろう。だがそれはもう先ほどの一声で、崩壊してしまった。

彼らは金で動く。そう考えながらも彼は自分もまたそうであることを確認した。彼も、金で動いているのだ。

しかしフルンツベルクの元で彼らを統率する立場の人間になったときに、その力は複数人の人間でどうにかなるようなものでもないことにも気がついた。彼らは金で動く、それはあまりに強烈な動機だったのだ。彼らは金がなければ生きることが出来ない、生きることが出来ないのならば、彼らは新たな生きる手段を選択するだろう。

彼らが進む先、道中の農民は恐れ、向かう先の市民は絶望する。評判が地に堕ちているのはわかる。略奪を持って懐を温めなければならぬのもわかる。傭兵なのだから、金がなければただの荒くれ者だ。無給で長槍を敵に突き立てるなど狂人のなせることではないか。それを考えると、金で動く彼らは狂人の一歩手前で踏みとどまっていたとも言えるが、この自体では彼らはもはや傭兵という枠組み、我らがそうあるべきと彼らに望んだ姿からは似ても似つかない狂気の象徴と化していた。

 

数ヶ月もしない内に彼らはローマに到達し、近々ローマは史上最悪の日を迎えるであろう。数多の傭兵部隊がローマ城壁を包囲し、攻撃軍としてその体裁を保っていた数万の群衆は一瞬にして略奪軍へと変貌するだろう(彼の予想は残酷なまでに的中する。「一都市の破壊というよりも一文明の破壊」と言わしめた「ローマ略奪(サッコ・ディ・ローマ)」である)。

彼の想像力はすでに限界に達していた。群衆がローマになだれ込んだとき、怯える民衆の顔が浮かんでは消えた。ありありと浮かぶその顔、彼は心臓を握り潰される。これは、誰のせいなんだ?

 

彼はペンを置いた。インクは残り少ない。テントの外に出る。今までそこにいた群衆の姿はなく、壊された仮設の木造ベンチが取り残されていた。辺りを見渡すと、悲壮な顔つきで話し合う者、頭を抱える者もいる。終わりが始まったとしか言い様がない。

我らは血塗れになるしかない。この靴の底まで血で濡らして、次から次へ最高司令官が血に手を染めない代わりに金と引き換えに戦わなければならない。生きるためには我々は進まなければならなかった。彼は風に掻き消されそうな声でつぶやいた。

 

”慈悲深き神よ、この苦しみをご覧あれ!さもなくば、我ら朽ちるのみ”

 

 

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

 

参考資料

ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌

ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌

ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)

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戦争の世界史―技術と軍隊と社会

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