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世界と彼女のイン/アウト

 

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 こちらの記事に出てきた文芸少女のお話

http://colorfullife.hatenablog.com/entry/2013/03/30/193112

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 彼女は僕を抱えると、無造作にスクールバッグに突っ込んで、ガリガリとファスナーを閉めた。

「一体全体、ボクをどこに連れ出そうっていうんだい?」

 バッグの中から外の彼女に問いかける。

(どこって私の家よ)

 カバンの中は真っ暗で彼女の姿は見えないが、彼女は僕に向かってあっけらかんと答えた。そしてそれがいつもの放課後の彼女であることを思い返す。

 僕は背表紙でその姿を眺め続けているのだけれど、季節によって移り行く窓の景色とは対照的に、彼女はなにひとつ変わらなかった。その変わらなさぶりに、彼女だけ時が止まってしまっているのではないかと疑ったこともあった。

 しかし彼女が生活するこの空間はなんら時を止める要素など無いし、僕自身が徐々に徐々に乾いていくのと同じように彼女もゆっくりと時を刻んでいた。それがわかるのは、彼女の制服の夏服と冬服の切り替わり時ぐらいなものだけど。

 彼女は授業が終わると誰に呼ばれるでもなくこの文芸部の部室に来るし、誰を呼ぶでもなくただひたすら本を読み続けている。彼女は僕が暮らす部室の女王でもあるし、主人でもあるし、すべての本を従える女将軍でもあった。だからこそ、”持ち主不明”の本たちをいかようにすることが出来るのも彼女だし、僕がこうして連れ出されたとしても誰からも咎められないのだ。

 バッグのファスナーを内側から眺める。こんな経験滅多にないだろう。久しぶりに学校の外に出ることになる。外に出た記憶すら曖昧になっている。本棚に立っているのは、それも悪くはないけれどさすがに飽きというものも来る。ちなみにこの部室に”しゃべる本”は僕以外にはいない。世界広しというのだから、この部室の外にはいるかもしれないけれど。

「キミの家に招待してもらえるなんて光栄だね」

(ただ続きが読みたいだけよ)

 彼女がそう答えたのを僕が聞いたあと、僕の体はぐわりと持ち上がった。彼女がバッグを肩に掛けたのだろう。

「続きが読みたいというと?」

 彼女は何も答えなかった。その問いかけさえも野暮なのだろう。

「しかし、本ながら暗闇の中に置かれるとなかなか不安になるというものだね」

(そりゃそうよ。暗い倉庫の中で埃を被ってカビ臭さのなか虫に食われて文字が欠落して終わりだもの。本も恐怖を覚えるものね)

「そう、僕ら本は文字が消えたら終わりなのさ。自分の最期というものは可能な限り夢想しておきたいけれど、まあ、この部室に残るか、あるいはビニール紐で縛られて資源回収されるかのどちらかだろうね。巡り巡って東京の神保町で暮らしてみたいというのはちょっと思うけど」

(だから私の部屋に招待したのよ)

「というと?」

(いずれ私の部屋が城になるわ。その時が来たらね)

 彼女はそう言うと部室のドアを閉めた。

 

   *

 

 彼女はバッグのファスナーを開けると、真っ先に僕を掴んだ。その細い指が僕を持ち上げていくと、そこに広がっていたのは雑然と本が積み上げられた文芸部の部室とは似ても似つかない空間だった。

 僕が辺りを見渡しているうちに、全面ガラス天板の机に寝かされる。背中にひんやりとした感触を得る。こうして見知らぬ場所で寝そべることになるのは、なんとも気恥ずかしいというか、そわそわとしてしまうものだけれども。

 どうやら彼女の部屋はマンションの一室にあるようだ。部屋にひとつある窓から見える景色が、一軒家のそれとは異なっている。

 白い壁で囲われた部屋は、それほど広いというわけではなかった。もちろんそれが都内にあるマンションの一室だと考えるならば順当だし、彼女のような女子高生に与えられる部屋として標準的な広さを備えている。ひとりが生活するには十分だろう。

 窓の下には純白のシーツに包まれたベッドがある。掛け布団も、枕も、ベットを構築するパーツのひとつひとつも白だった。窓下のベッドから目を離し、左右の壁を観る。そこには、まあ、当たり前と言えば当たり前なのだが本棚があった。つっぱり式で床から天井まで柱が伸びていて、上から下に9段ある。それらの棚はもちろんすべて本で埋まっていた。

 ひとつの本棚がそうして本で埋め造られているわけだけど、それがこの部屋には5つあった。見たところ本棚は90センチの幅だろう。それが右の壁には3つ。左の壁には2つある。

 本棚をよく見てみると一糸乱れぬ様相で本たちが並んでいた。本のサイズはもちろんのこと、出版社別に並んでいるようだ。さらによく見ると作家別にも並んでいる。なんというか本屋のようだ。文庫本で埋まる本棚もあれば、背表紙から推測するに海外の本も並んでいる。

 これらはノージャンルといえばノージャンルかもしれない、フリースタイルといえばそうかもしれない。彼女は取り分けその傾向が顕著で、なにかひとつのジャンルに傾倒するということがなかった。部室にある本と比べたら、彼女の明確な意図で選抜された本なのだからもっと彼女らしい傾向がこの部屋の本から見えてくるかもしれないが。

「なんというか”質素な”部屋だね」

「”機能的”と呼んでくれないかしら」

「機能的な部屋に住む女子高生というのも、どう褒めればいいのかわからないよね。マイノリティに対する賛辞が思いつかない」

「私がマイノリティかどうかなんて自分の足で調べてから言ってみたらどう? 世界の1億人の女子高生がこういう部屋で暮らしていたとしたら、あなたに対して反旗を翻せるわ」

「それはそれは物騒な話だね」

「世界なんてそんなものよ」

 彼女はそう言いながら机上のパソコンの電源を入れた。天板が全面ガラス張りのため、パソコンから伸びるケーブル類が机の下を通っているのがわかる。ファンが回っているのを机の振動から感じ取る。

「ご両親は?」

「仕事よ。共働きだからいつも遅いのよ、ふたりとも」

「なるほど」

「それに居たら居たであなたと声を出して会話をしてないわ。自分の娘が部屋でぶつぶつと言っていた、ついにおかしくなったんじゃないかって心配するだろうし」

「まあ、それはそうだけど。僕からはこうしてキミに声を出さずに声を伝えているわけなんだから、キミも同じようなことが出来るんじゃないかな」

「やろうとしたけど、なかなかめんどくさいことになりそうだから辞めたわ。声に出すことよりも声に出していないことの方が大事。その境界が無くなった時に自分を守る術を人間は持っていないわ」

「そんなものなのかね」

「そんなものよ。一般人にはまだ早すぎるSFの世界だわ。それにあなたみたいなしゃべる本なんて超常現象以外のナニモノでもないし、オカルト雑誌の編集部に売りさばいでもいいくらいよ」

「そもそもボクがしゃべり始めたことが超常現象じゃないとしたら、一体全体、ボクは何なのさ」

「ただのしゃべる本ね」

 吹き出さずにはいられなかった。つい先日、夜の部室でずっと考えていたことの結論をあっさり言われてしまったからだ。つまり僕はこうして高度に思考することが出来るけど、恐らく人間の特権でも在るその行為と、本であるという自分の存在との乖離が甚だしいのだ。

「ところでそれは何だい? 読んでいる途中かい」

 僕はその透明な机の反対側に積まれた本の山に対して彼女に質問をした。背表紙が向こうを向いているためにそれがどのような本かわからないが、5冊ほど積み上がっている。内4冊が単行本で、一番上に文庫本が積まれている。どれもびっしりと草のように付箋紙が生えており、並々ならぬ読書経験の活用への意欲を感じる。

「これ?」

 制服のボタンに手をかけながら彼女は言う。

 ああ、そうか。部屋着に着替えなければならないのか。

 厳密に言えば僕には目がないから閉じることは出来ないけど、彼女が恥じらうならば僕を箱か何かに入れるように進言する。

 しかし、当の彼女はそんなことは気にもせずにするすると制服を器用に脱いでは、壁にかけられたハンガーに吊るした。クローゼットから綺麗に折りたたまれた部屋着を取り出すために彼女は屈む。曲線を露わにした尻を覆うように張ったショーツ。制服を身にまとっているときと変わらない華奢な体つきで、成熟のための未成熟さを感じずにはいられない。

 ただの本である僕からしたら、彼女の身体的な成熟が読書によってもたらされるのならば大いに興奮をするところだけど、現実そうではない。残念ながら書物は彼女の体を女性的にはしないし、そういう役目を過去1000年で担ってきてはいない。

 まあよくよく考えてみたら僕のような存在が特異なだけであって、こうした類を見ないケースが存在する可能性をいちいち考えていたらやってられないだろう。だとすればこれは彼女の認識での僕は会話ができる本であって、それはあくまで本は本でありその本に対して恥らう必要もないということなのだろう。それはそれでなんだか悔しい気もする。

 ゆったりとした部屋着を身にまとった彼女は、一息つきながら椅子に腰掛けた。

「小説を書いているの」

 彼女は僕の問いかけに答えた。意外な回答だった。

「ほう、それは初耳だ」

「当たり前よ。本に本を書いてるって話すなんて、なんか変じゃない」

「そうかな?」

「そうよ。これがもし”しゃべるキャベツ”だったりしたら、キャベツ農家はキャベツにキャベツ作ってるなんて話さないでしょ」

「いや、キャベツを栽培しているキャベツ農家とは違ってボクはキミが何かを書いてるところを見たことが無かったわけで……」

 僕がぶつけた疑問に対して彼女は回答せずに話を続けた。

「カキモノに興じる時間があったら、何か他のことをしろと人は言うかもしれないわ」

「まあ、だったら部活動に興じろみたいなのが一般的な高校生観なのかもしれないけどね」

「私、文芸部ですけど」

「不法占拠も甚だしいけどね。そうだとしても、ひたすら本を読み続けていたキミが家に帰れば作家になっていたとは驚きだね」

「簡単よ。学校にパソコンは持ち込めない」

「そりゃそうだ。ただ、文芸部の活動で必要なんですとでも付け加えて、使ってないパソコンを拝借することも出来るだろうけど」

「そうね、それは名案ね。私としたことがなぜそれに気が付かなかったのかしら。まさか文芸部の活動を万年筆と原稿用紙でやってるなんて思わないだろうし」

「今時スマートフォンがあればインターネットに接続することも出来るのだろうし、まあ諸々の問題は簡単に片付きそうだけどね」

 彼女は机の上に置いてあるスマートフォンを手に取って、つぶさに眺めた後同じ場所に置いた。

「今時スマートフォンがあればどこでも書けるのだろうけど私はちょっと苦手ね、そういうのは。どこでも書けるならば環境は選ぶべき。文芸部の部室は、まあ、確かにあの空間で文章を書いたとしたらいかにもって感じがするけど、あそこは本を読むためにあるからちょっと考えものね」

「ふーん、ボクは本棚にいるかいないかの違いしか環境についてはわからないなあ」

 彼女は、画面下にならぶアプリケーションのアイコンの中からある一つを選んで起動した。

「それにしても、キミが小説を書いてるなんてなかなか驚きだね。てっきりキミは読書家の類だと思っていたけれど」

「文芸部の少女が、その小さな体に抑えられないほどの衝動を抱えていたとしたら。ちょっとそれを吐き出してしまいたくなるのって、自然の摂理だと思わない?」

「それは若気の至りとも言う」

「若いのよ、だから私は私の行為を赦すことが出来る。その行為を恥じらってはいられないから、私は私を赦すの。あなたが思うほどあなたがしていることは恥ずかしくないから、あなたのやりたいようにやりなさいって」

 もう一度キーボードに手を置いた。彼女のパソコンにはテキストエディタが表示されていた。びっしりと文字で埋まっている。

「私はこの行為にアウトプットなんてあまりに高尚で、あまりに陳腐化した名前を付けたくはないわね」

「それ以外にその行為に名前を付けようがないだろうに」

「これは、ひどく個人的な問題なのよ。個人的過ぎて、それをアウトプットって言葉に押し込めたくないのよ。何よアウトプットって。”面白いこと”ぐらいに曖昧だわ、そんなの。自分自身の自我の表出なのに、人様向けにはアウトプットって言葉で表していいなんて」

 彼女はカタカタとキーボードを叩きながら、僕に向かってこう言った。

「ただね、自身の自我の表出に始めから価値があるなんて考えられる人が羨ましいの。そんなもの、無いのよ。びた一文出すものなんか無いんだわ。そういった考えの人様の表出した自我になんて、自分の時間をかけてまで付きあおうなんて思わないし、思うとしたらそれは余程物好きよ。でもほとんどの人が評価をされたがってる、空間は評価をされたがってる人で溢れてる。評価されてしかるべきだなんて思う人もいる。大声あげて喚き散らしてる人もいるわ、とりあえず一番大きい声を出せば良いみたいに」

「随分、抽象的な話だね」

「そう抽象的。こうした議論なんてこうやって暖簾に全力パンチするみたいな表現で武装されるものなのよ。具体的な言い方をすれば誹謗に片足突っ込むことになるし、さらに読む側からしたら”それに該当しない私”という安全な傘を見つけられてしまうからね。これを読む聞くあなた達全員、むしろ敵が誰なのか特定しない無差別物言いみたいなものよ。こんなものただの手法でしか無いけど、ありふれた手法よ」

「そういったものを目にした時、どう応えていけばいいのだろう」

「堪えること、そして、許して忘れることね。そもそもインターネットは刺激、極めて人間的な感情に溢れてるわ。自我の戦争よ、この空間は。いつ誰が私の領域にミサイルをぶち込んでくるかわかったもんじゃないわ。だから、特に創作をやろうなんて考えだした人にとってみれば人様の自我の表出に左右され揺れ動き、特に怒りや悲しみに支配されるようなことがあってはそれこそ問題だわ。許して忘れるの。何かをしようとするには残された時間はあまりに少ないものなのよ」

 僕はそこで黙って、彼女を見上げていた。彼女はひたすらキーボードを叩き続けていた。彼女の眼差しは、ただひたすらに彼女のなかの”もうひとりの彼女”に向けられていた。

 

 

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