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KDPと、本屋と同人誌即売会の境目が無くなった空間

 

KDP(Kindle Direct Publishing)が日本でも始まって初めての春です。

実に麗しい日々です。 

KindleStoreのオープンとともにKDPが日本でも開始され、「元年元年!」とええじゃないかの如く踊り狂ったあの日々もすでに懐かしく思え、私の手元には増え続けていくKindleStoreで買った”本”と、ゆるやかに増えていくものの本棚の一角に積み上がっていくだけの”KDP本”という構図が出来上がりつつあります。これはどういうことでしょうか。

どこかに「KDP本」というのを意識しながら読んでいるというのもあります。これは「同人誌即売会で買った同人誌」という意識で読むのともちょっと違うようにも思えてしまい、KDPのスタート以来もやもやもんもんとしてきた話のひとつでもあります。

同人誌というワードを出して考えていますが、KDP本が個人出版によって世に出た本であるならば、それが出版社という組織を通して世に出た本と同じフィールドに並ぶというのは、どうにも「本屋と同人誌即売会の境目が無くなった空間」というように思えてしまうのです。それ自体になにか問題があるのかと言われると、うーん、と首をひねってしまうのが現状ですが、よくよく考えてみるとひどく個人的な理由に回帰するみたいです。

 

①単純に分母が増えてきていて探すのがめんどくさくなってきた

まだ数ヶ月という段階では、KDPが浸透した(KindleStoreではなくKDP)とは到底言えないように思えます。しかし出す人は作品を出しているわけですし、その作品数は増加の一途を辿るわけです。とても素晴らしいことです。そうして個人の才能を発掘するとか、まだ見ぬ文学的価値の発見とか……KDP本で個人の力量がそのまま反映された本を見る機会というのが増えるのはとても嬉しいことでありますが、いかんせんそれが”裾野の広がり”を通り越して増大し続ける分母という状態に突入しているのは言うまでもなく。

何が言いたいかというと、それらを探すのが段々”めんどくさくなってきた”のです。それは増加するKDP本に対して、その購買者たる私の目にはすべてフラットに並んでいる(遥か彼方まで)。これはもうStoreの問題なのかもしれませんが、とかく偶発的な出会い、”何かいいKDP本”と出会うというのがKindleStore上では難しいです。なんというか、スペースの制限が無限の同人誌即売会に迷いこんじゃったみたいな。

一年経っていないのですがもはやKindleStoreに直接行って”何かいいKDP本”を探すというのは難しくなるのかもしれません(ランキング上位にいるKDP本=”何かいいKDP本”という話を抜きにしてです)。ノイズ(作品の上手い下手ではなく、自分にピンと来ない作品)の量に対して、自分には輝いて見える作品の発見、それを自分がKindleStoreに出向いて行える可能性。その可能性がどんどん減少していくのかなあというのが実感です。

ただこれは利用者である当人の”めんどくささ”との折り合いであるというのもありますから、まだ許容範囲なのかもしれません。そして、誰かに薦められて検索して購入するというのはまだ苦ではありませんし。しかし、KindleStoreに行ってKDP本をなんの前情報もなしに探し始めるというのはそろそろめんどくさく思うようになってきました。

 

②これまでの同人誌とKDP本とのギャップ

これというのは同人誌即売会、コミックマーケットでもコミティアでも文学フリマでも、そういった同人誌即売会に足を運んで対面で同人誌を買った経験があるのならば(またその頻度が多いほど)感じるところなのかなと思います。

KDPが開始され、”個人出版”という呼び名が広まり、周囲が「個人出版!個人出版!」とええじゃないかな大騒ぎをしているなか、「いや、これ同人誌でしょ」と砂糖なしのコーヒーを啜りながら呟いていたわけであります。

私の呟きが出版物としての同人誌、強いて言えば同人誌として売りだされたものとKDP本として売りだされたものの判別として正当なものかはまだわかっていません。KDP開始に伴う個人出版の機会を得ることと、私が頭のなかで考えるそれまでの同人誌の作成と販売(どうにも”出版”という言葉がしっくりこない)が必ずしも一致しているとは限らないのかもしれません。ただ、個人出版という言葉を分解して”個人で作った本”であるとするならば、同人誌即売会などで販売されている”個人で作った本”と大筋変わりはないのだなと思っています。

そこで、同人誌とKDP本のギャップの話になるのですが。KindleStoreに”個人で作った本”並んでいる様と、同人誌即売会に足を運んで”個人で作った本”が並んでいる様を比較した時に、どこかの誰かが”個人で作った本”を「所有したいという喜び」がどちらにあるかということを考えてしまったのです。後者は言うまでもなく(あくまで私個人の考えですが)、前者にそれがあるのかどうなのか。「同人誌即売会で”個人が作った本”を買って読む」という同人誌特有の楽しみ方(読書体験)が、KDP本にあるかないか。

この、あくまで、あくまで超個人的な感じ方の問題についてはまだ考えを巡らせる必要があります。KindleStoreと同人誌即売会を一緒くたに考えていいのかどうなのかというのもいまいち整理が出来ていないですし。ただ、今のところこの答えがNOなのです。KindleStoreに並ぶKDP本には同人誌即売会で本を買う時と同じ感覚は得られないのです。

 

とかく、KDP本というのはそのフォーマットが”電子書籍の形に収まっている”というところにおいて「楽しい!」となっているので、その「楽しい!」に至るまでに障害があったりするとどんどん萎え萎えしていってしまうわけであります。KDPのスタート以来、方々で発言されていること、つまり「KDPで本出したー!わーい!KindleStoreにも並んでるー!わーい!わーい!」と喜んだ次の瞬間、無数のKDP本の渦の中に放り込まれて埋没するという状態。

KDPと本屋と同人誌即売会の境目が無くなった空間とタイトルを付けましたが、これ自体明確な答えが出ているわけではなく思考の過程も過程だったりします。”個人で作成した本”がこの世界のまた別の個人の読書体験に痛烈な一撃をもたらすために考えなければならないことというのは、たくさんあるようです。