読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ライフハッキンラブホリック

春というのは思いの外、季節の境目といものを飛び越えてやってくるものです。

毎年のように花粉とアレルギーとチークダンスを踊っている私からすれば、この季節というのは諸手を上げて歓迎できないのが正直なところ。春の到来を待ちわびる動物たちからしたらすごく迷惑な話だけれども、四季というのは春夏秋冬が2:1:3:4ぐらいの割合であって欲しいものです。去りゆく冬が名残惜しい。


さて、こうして雑文をつらつらと書き連ねるのもなかなか久しぶりなのですが、当方、仕事に大きな変化がありまして、こうやって朝の時間をゆったりと使って文章を書くというのがようやく再開できるようになった(かな?)というわけなのです。


仕事が変わったわけではありませんし、仕事を辞めたわけでもありませんし、私は相も変わらず同じ景色が流れる車窓を見つめながら朝日を浴びているわけです。じゃあ何が変わったかというと、社会人3年目に入ったことで何かにつけて自身の作業の持分が増えたということなのです。

しかし、それが順次段階的に行われるのであればこちちらも身構えることが出来るのですが。突然にして、それは、私の仕事を3倍にしたのです。要は体制が3人から私1人になってしまったという状況なのです。


これを転機と見るかは私自身の捉え方次第なのですが、こうした事態(外を見ればよくあること)に見舞われた今、何をすべきなのかというのを毎日のように考えています。何をすべきなのかを考える、しかも1人で考えていくことというのは、カレーの材料でポトフを作る閃きが必要になってくるわけです。

状況を整理し、それを分類し、優先順位をつけて、実行し、結果を管理するという一連の流れが、ぺーぺーのぺーぺーたる私に出来るのでしょうかと試行錯誤の連続。


この話をここで挟むには少々理由がありまして、このブログで書いていた、それこそ1年前から今日に至るまでに書いた記事の中で、”仕事術”的なあるいは”ライフハック”的な記事に書かれたことと、これから経験によって編み出されるそうした類の記事の「有用性の違い」というものがどうしても生まれてくるということなのです。言葉の意味が理解できた、と言いますか。

これはあくまで書き手自身の問題であって、過程が隠された出力結果を読むことになる読者からしたらその違いに気がつくかどうかというだけの話なのですが。まあ、問題なのは自分の向き合い方なわけです。


ウェブ上には仕事術やライフハックという言葉にパッケージングされた様々な個人の経験則があふれています。それがまさに個人の経験則であって、それをそのまま適用できることは”ほぼない”(私自身の生活においてはほぼないと考えます)というスタンスに立って、それらの経験則を日々の作業に”輸入する”という方法が実に真面目な実行手段なわけです。

そうしたことを今の自分の状況、”どうしようもなく何かを解決しなければならない”状況で実感できるのは、こういった”仕事術”や”ライフハック”という言葉に感じる「小手先感」や「手段の目的化」を飛び越えると思うのです。本当に困ってるなら、他人の経験則を利用するしかないのです。


やんややんやと書いてきましたが、実に基本的なことを今更ながら実感しまして、”仕事術”や”ライフハック”という言葉を、そういったことが使用される状況を経験せずに、理論だけ書き並べてご満悦という歯の浮いた状況を脱することが出来たのは、ある種の転機なのかもしれません。

とかく、この”仕事術”や”ライフハック”という言葉は、その「それ自体を的確に指す言葉がないから包括的な言葉を付けちゃいました」感を1枚剥いだ先には、実に個人的な経験と実績の塊があるわけなのです。そりゃ、見た目から「あ、私の窮地を救ってくれそうな方法だ!」と飛びついても、そのまま実行したら何一つ成果を挙げられないどころか、出来ない自分に焦るみたいな状況が生まれるわけです。

これは、本当に、実戦でしか経験出来ないことなのだなあと、麗らかな朝日を浴びて思うわけです。眠い。


広告を非表示にする