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”記憶の宮殿”とそこに格納されるイメージ

 

記憶というものについて何かを考えるとき、自分の中でいままでもやもやしていたことがありました。

それというのも自分はそれについて考えているのに、それが何一つ実感を持って自分に訴えかけて来ないことなのです。いや頭のなかで行われていることですし、それについて明確なプロレスが今まさに展開されていくのであればこんな面白いことはないのですが。ただ、パソコンの底蓋をあけただけではパソコンが何をしているのかなんてわからないのと一緒なのでしょう、人間の記憶のプロセスを見ようとするというのは。

しかし、はいそうですかと終わらせることが出来るほど単純な話ではないからこちとら困っているわけで、もやもやに対する何かしらの落とし所というものが必要だなあとも感じています。

最近、数ヶ月に渡ってある本を読んでいます。ハンヌ・ライア二エミの『量子怪盗』です。 

 

量子怪盗 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)

量子怪盗 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

私の読書の過程を知っているひとにしてみれば「まだ読み終わってないのか」と思われてしまいそうですが、いや、こんなもんホイホイ読み進められないってばよと。本屋さんに立ち寄った際にはハヤカワの棚に行って手にとってみましょう。開いた瞬間「うげえ」と言いたくなるほど文字が詰まってますから。

 

さてそれはいいとして、どストレートなSFなのです。書評ではないので、なおかつ内容を書いてしまうと大変なことになるので詳細は置いておくとして、まず『量子怪盗』の舞台は未来の火星であります。人智を超えたハイテクノロジーの塊になっているわけですが、この話の肝として「記憶」というものが出てきます。人の記憶を活用することがひとつのテクノロジーとして確立しており、そうした記憶や認識の高度な活用ということが平然と登場してきます(それがSFなのですが)。

そのなかで、記憶に関する記述で興味深いものを見つけました。

 

ルルの信奉者のひとりには、かのジョルダーノ・ブルーノがいる。記憶の宮殿といって、じっさいに存在する場所を頭の中に想定し、そこにイメージを格納する記憶法を完成させた人物だ。この方法を用いれば、あたかも精神外のストレージを利用するかのように、記憶を頭の中に保存しておけるという。そこにはすくなくとも、拡張メモリーと通じあう類似性があった。ウブリエットの拡張メモリーがやっているのも、本質はそれと変わりがない。具体的には、ありとあらゆる思念を──体験に基づく思念、感覚に基づく思念を──都市全体に広がった遍在的な演算機構に保存しておくものなのだから。 

 

後半の”SFっぽさ”はまた置いておくとして、前半の記憶法について。ここで提唱されている記憶法について、案外現実的(今後拡張可能な方法として)なのではないかなと思うわけです。

現時点においては記憶というものを”有形なもの”としてどこかに格納していくというのは、まだ捉えどころのないことです。しかしこの方法論で記憶を格納していくことが出来るとしたら、とても頭のなかはスッキリするのだろうと。

何が入ってるかわからない、その機構さえわかっていないものに記憶をゆだねて、あるときは思い浮かべることが出来て、あるときは思い浮かべることが出来ないという不確実な要素を排除して、記憶活用の精度をぐんと高めることが出来るのではないかななどと思うわけです。例えば自分の頭のなかに宮殿をイメージして、その宮殿内のどの場所にこの記憶を置いておく……ということを続けられるのか、またそうすることが目的としている記憶活用の精度を上げることに繋がるのかわかりませんが……。

これは”連想”に近いような気もします。毎回思い浮かべる記憶の宮殿のイメージにブレがないようにすれば、あとはどの時に”宮殿内の”どういう場所にどういう記憶を置いたかという、トリガーの役目を果たすかもしれません。脳内のメモリーを精神などが使用している領域とは別に記憶領域を確保し、そこに宮殿のイメージを構築する感じでしょうか。

 

思いつきなので自分でも何を言っているのかわかりませんが、これというのは単なる提起に終わるのではなく、なかなか興味深い含みを持った発想だなあと思うわけです。”記憶の宮殿”、いやはや、実にかっこいい。

 

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