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【SHF】本を読む場所が冷えるのは、いけませんね

 

 

『彼女は孤独であった。しかし、それを彼女は孤独とは全く考えてもいなかった。孤独は我々人族が生み出したひとつの魔物に過ぎず、その本質の蓋を開けてみると、誰しも孤独と成り得てしまうのだ。こうしてあなたが何一つ不自由なく活字を追うこの瞬間でさえ、この充足した時間さえもそれは孤独と背を合わせることになってしまう。ただそれを人族以外の種族、例えばそう魔人族などに当てはめて考えたところで、彼女らがそれを』

 

 

 

 

「ヘッ……クシュン!!!」

 

 

静寂を貫く音速のくしゃみが、大理石の床を這い、天井を支える太い柱にまとわりつき、図書館内に盛大に木霊した。口が開くほど高い天井だ、それはそれは良く響く。

誤って本を閉じてしまわないように今読んでいるページを手で抑えるも、両手を使ってしまっていては口を抑えることも出来ず。そんなお行儀の悪いことは彼女とて学者の面前ですることは出来ず、片方の手で口を抑えようとしたら、あろうことか今までページを抑えるために本にかけていた手で口を抑えてしまったわけだ。やってしまった。

今読んでいた箇所がどの辺りか探さなければならない。ページの番号など振られていない古書であるため、実にめんどくさいことだ。

遠くから司書が眉を吊り上げながらこちらを見ている。本を読む研究者の何人かが、本に手を置いたままこちらを一瞥する。

「またあいつか」という声が聞こえてくる前に、彼女は立ち上がり椅子にかけた羊毛のコートを手に取るといそいそとその場を後にした。

ルリ=ハーレン。

いつだって安住の地を求めるも、この世界最大級の蔵書数を誇る王立魔術研究所の図書館でさえ彼女に安息を与えなかった。

 

 

 

  *

 

 

 

「本を読む場所が冷えるのは、いけませんね」

 

ルリは胸に抱える2冊の本を指で撫でながら、暖炉の前に歩み寄った。研究所の談話室に設置された暖炉が、パチリパチリと音を立てている。「おぉー、さむさむ」などとぶつぶつ言いながら、暖炉の前を陣取る。

幸いなことに談話室にはルリ以外誰もいなかった。ランプの灯りのみの室内はぼんやりと薄暗く、ただそれは不安を感じるような暗さではなく、何かに包まれるかのような没入感と安心感と生み出していた。

誰も居ないのだから談話室内の革張りのソファーや、小さなテーブルと共に設置された木製の椅子など本を読む最適な場所を選び放題であった。しかしルリはわざわざ暖炉の前を選び、毛の長いふわりとした触り心地の絨毯の上に腰を降ろした。

そこはルリの特等席であり、他の研究者はルリがそこからどくまでは暖炉の炎に手を当てることさえ出来なかった。「炎は古代魔術のはじまりの泉なのです」という暖炉前を占拠することと何の関係もない言い訳を口にしながら、断固として譲らないのが常であった。

 

ルリは膝を抱える様にして座ると、先ほどのクシャミで中断した本の続きに取り掛かる。本越しに見える暖炉の炎が、ぼやける視界の中でゆらりゆらりと揺れている。

本を開いたルリは思い出したようにコートを手繰り寄せ、ポケットから小瓶を取り出した。親指ほどの小さなガラス製の小瓶で、オークから出来たコルクで栓がされていた。半分ほど透明な液体が入っており、ルリがその瓶を軽く振ると、少々粘性のある液体がゆっくりと撹拌された。

栓を取るとルリはその液体を右手の人差指の先に染み込ませた。指の腹にまんべんなく液体を行き渡らせ、湿り気が無くなるまで親指の腹とをこすりあわせた。

 

「さてと……」

 

ルリはそうして読みかけた本を手に取り、先ほどの続きの箇所を探した。パリパリと乾いた紙をめくる音に合わせて、暖炉にくべた薪が音を立てる。一定のリズムでめくられていくページを、ルリは目だけで追う。

寒暑の差によってほんのりと上気したルリの顔は、次々にめくられる古書の世界に魅了されたためか時々綻んでいた。

彼女にしてみればそれは、多くの人が空腹時にごちそうを前にした時に顔を綻ばせるのと同じことであった。本を目の前にし、その最初のページから次々にめくられ、目を指を通して頭に注ぎ込まれる知というものがなによりも”ごちそう”であった。

ルリの指が止まる。先ほど閉じてしまった箇所を見つけたのだ。

 

「ここ、です、よ、っと」

 

ルリは右手の人差指を文頭に置いた。先ほど液体を塗った指だ。その指先に湿り気などもはや無く、それが古書であっても水気を気にする必要は何一つなかった。

文頭に置いた指を滑らかに下へと動かし、文の終わりまで続ける。三行に渡った文をなぞり終えるとルリはその指を離した。

 

(――汝その記憶に永久の口吻を)

 

薪が爆ぜる音にさえかき消されるほどか細い声でそう唱えると、ルリがその指でなぞった三行分の文字がふわりと宙に浮き始めた。本にはその文字が記されたままなのだが、まるで分身、双子が生まれるかのように、その文字と全く同じ文字が剥がれるようにして宙に浮き始めたのだ。本に書かれた文字から完全に離れた文字はふわりと宙を漂った後、綿毛を散らすように消えた。

すべての文字がそのようにして宙に浮き消えていくと、辺りはまた薪が爆ぜる音だけが響く空間へと戻っていった。

 

 

ルリは満面の笑みで頷くと、より強く膝を抱え、”本格的に”本と向き合う格好となった。

 

 

 

  *

 

 

 

研究室の机で突っ伏していた彼は、頭上で響いたちょっとした破裂音に目を覚まし慌てて顔を上げた。

辺りを見渡しても誰もいない。それはそうだ、ここはあの変人古代魔術研究者の研究室なのだから。

 

「またか……」

 

安眠を邪魔した原因、目の前に”突然降ってきた”一枚の紙きれが目に入った時、彼はそうつぶやいた。彼はふわりふわりと目の前に降ってきた紙を手に取ると、そこに描かれている文字を眺めた。三行分、書き様から古書の類か。

 

「また妙な本を読んでるな、あの人は」

 

彼は苦笑いをひとつすると、その紙が”現れた”真下に箱を置いた。

置いた後、彼は大きく一つ伸びをすると凝った肩をぐりぐりと回しながら立ち上がった。研究室の整理はまだ終わってはいない。頬をパチリと叩く。

するとまた新たな紙がひとつ現れてはゆらりゆらりと、助手が設置した箱に落ちていった。

彼はそれを見ながら思う。明日の朝にはきっと、この箱から”溢れ出るほど”の紙の山が出来上がっているのだろうな、と。