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電子書籍を愛するということ

 

昨年の11月末にKindle Paperwhiteを手にしてからKindleストアで購入した文芸書が50冊をちょろりと超えていたこと、ブックリストを開いてその総数を見たことで気がつくという、なかなかおもしろい事態になっています。

考えなしにポチポチ押して購入し、ページ数が多かろうが少なかろうが読み漁ってきたことによる結果なのでしょう。今、自分の本棚は静かな凪の如く、知識の増加に身を委ねているのです。Kindleの方は大嵐だというのに。

 

紙の本は今までと同じように紙の本であって欲しいし、電子書籍はこれからも素晴らしい読書体験をもたらして欲しいと考えるのはあいも変わらずで、読書という行為の選択、そして読書環境の拡張が行われるこれからの進歩を固唾を飲んで見守るわけです。紙の本も、電子書籍も愛している。

ただそんな中、自分の本棚を整理していた時にふと思ったことがあります。こうして本棚から本を抜き出し、表紙の汚れをさっと払った時にふと、そもそも”電子書籍を愛するってどういうことなんだろう”と。

 

”本を愛する”という言葉を聞いた時に思い浮かべるイメージというのは、さぞかしわかりやすいことでしょう。私も容易にイメージすることが出来ます。そのイメージに登場するモノなり人物なりは、とても本を愛している。私の場合は本が幾重にも存在する本の中で独り佇む少女のイメージでしょうか。まあ、この際何でもいいわけです。愛しているというのは、大事にしていると言い換えても問題ないことでしょう。本を大事にしている、実にわかりやすい。

 

ではそれは”同じ本”でもある電子書籍の場合どうなるのかと。同じイメージのなかに電子書籍を登場させてみる。

先ほどの私のイメージの中にいる少女にKindlePaperwhiteなりSONY Readerを持たせてみましょう。私の場合、電子書籍と電子書籍リーダーは、紙の本と同じ場所に存在しているので違和感はありません。

しかし、これでももう限界があるでしょう。”本を大事にする”というイメージと結びつかない人の方が多数かと。さらにその少女にiPhoneを持たせて、Kindleアプリを起動させてみましょう。その行為が紙の本からかけ離れているので、わからない人にはもうわからないでしょう。本を大事にするというイメージと同じないしは似たようなものを、多くの人がこの電子書籍においても抱くことが出来るのかどうか、だんだん怪しくなって来ました。

 

本を愛するというのは実のところ、本の形を愛しているということになると考えています。それはグーテンベルク以来の知のイメージそのものでもあるし、その形は人間の持つ知識欲を良く表現しているし、それを手にすることがすなわち知そのものを手に入れることであったのかもしれません(もちろん今も)。もし電子書籍リーダーに「ライブラリすべての本を、本という形で投影するプロジェクター機能」なんてものが付いたとしたら、そうして表示される本の形に変換された電子書籍を眺めて愛おしく思うのでしょうか。これもまた微妙です。

 

まだ人間は本の形を愛し続けるのでしょうし、手に取ることで自分に注がれる知をイメージし、満たされない空白を埋めるのでしょう。そして空白を埋めるかの如く本棚に本があることを望むことでしょうし。もちろん私もそれを望みます。

人間は過去数百年と本の形を愛してきたわけですから、電子書籍元年から2年経った今、それが突然紙の本と同等に愛されるというのは、考えを早めすぎなのでしょう。電子書籍が愛されるというのはそれが紙の本の”紙の部分”の代替と思われているうちは難しいのかもしれません。ですから、私はこれから人がどのように電子書籍を愛するのか、じっくりと考えてみたいのです。

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