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読書の価値を考えるための下準備


自身が読書に対してどのような価値を見出しているかというのを、凍れる風を受けひとり再考してみるのも良いかと思います。

というのも自分にとって読書がどのような価値を持っているのか、一日、一週間という区切りの中でそれにどれくらい時間を割いているか、例えばそう「時間」というもので考えてみようというのです。
読書という行為がそれに投入した一分一秒がそのまま効果として現れるものではないことを考えても、時間で読書の価値を考えるというのはあくまで参考程度でしかないのかもしれません。何というかこう提起したところで、いやかかった時間は結果であって必ずしもその時間に読書の価値は依存しないよ、と自分でも思ってしまうあたり、答えが出ているのかもしれません。

ただ、読書という行為をどう捉えるかは様々で、それを”逃避”のためと片付けてしまっていた(逃避ならば無尽蔵に時間を投下していいじゃんという考えの下)過去を清算する意味でも、ちょっと考えてみたいのです。なぜなら時間は無尽蔵に湧き出てくると思っていた中で読書していたのですから。そのユートピアから追放されてはや数年、時間を考えない読書というものから、時間を考える読書というものを考える必要が出てきたのです。

さて私の場合、読書という行為の目的は自身の享楽のためというのが大きいのですが、その裏では「文章を書くということへの影響」を常に考えています。それというのも文章がいかに”うまくなるか”(まずは自己満足が出来るというステップにおいて)ということでもありますし、そのためには読書に対して「効果」を確かめたくなるものです。
打算的に読んだところで名文なんてうまれるわけがないと斜に構えたいところですが、向上して損がないものである限りには向上させたいと思うわけです。そして読書というのは少なくともこの目的を達成したいがために行われるということでもあります。

読書の価値をまず時間で考えてみるということですが、そもそも一日どれくらいの時間読書に費やしているのでしょうか。これが意外と少ない(自分がどれだけ費やしたいのかと比較ではありますが)。平日なんて目も当てられないほどだと思うのですが、ただ今回はそれが何分だとか何時間だとそれが多い少ないかという話をしたいのではありません。

ここまでに出てきたキーワードをつなぎ合わせると、「読書の価値を時間で考え効果を確かめる」ということになりましょう。
うーん、そう考えてみると、時間というものは今目の前にあるかないかであって、じゃあ24時間の時間があったとしたらそれをすべて投入して読んだ本とその読書体験は最高のものになるのかといったらそうではない。かけた時間ではなくて、ある時間のなかでどのような読書をしたのかということにやはりなってくるのでしょう。早くも結論が出そうになってしまう。

今現在の読書の時間というものは、自身が読書をしたいという欲求のもとに創りだした一握の時間だという視点に立てば、それこそ無尽蔵に湧き出てくるものだと思っていたときの読書よりは身になるのかもしれません。
この話は効果というところですね。自分がどれだけ毎日のなかで読書をする時間を確保出来るか、そうして出来た時間の少なさに悲嘆するのではなくて、その限られた時間で能動的に読書をするにはどのような読書をすればいいのか。

長くなってきたので今回は自分に宿題を出そうと思います。前段で「能動的に読書をする」とさらりと言いましたが、実際、本を読むという行為は効果を実証しにくいのです(涙を流したくて号泣必至の恋愛小説を読んで涙を流せば効果が出たと言えるのでしょうが、前述した自分の読書の目的から考えるとちょっと違うようにも思えます)。
自分の目的にあった効果を得るためにはどのように能動的な読書をすればいいのか、というところですね。まあ、色々やってはいますが、「これだッ!」という感覚を得るにはまだ時間がかかりそうです。

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