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当たり前なことにほど明確なイメージが必要


”自分はいま何をしているのか”それを常日頃意識していると、自分の行動をさもブロックのように切り分けることができ、一日はその積み重ねであるということを実感することが出来ます。

それはレゴブロック(あの”大きな赤いバケツ”から)を掴んで、様々な色を積み上げて行くというもの。しかし、必ずしも高層ビルのように綺麗に積み上げられているかと言われるとそうではない。
積み上げるで連想される代表格としてテトリスをやってみると、最初は4つのラインをまとめて消して行くことを狙うけれど、あるとき凸の字のテトリミノを間違えて積み上げてしまった。そうするとそれ以降のテトリミノはそれまでの秩序立った積み上げから外れ、あっちこっちに積み上がり、元の平穏たる秩序を取り戻すために躍起になる。
まあ、一難去ってまた一難とはよく言ったもので一生安泰な終わりなき積み上げと消化ではないというのが、それがテトリスの面白さであるわけですが。

レゴブロックとテトリスという、”□”というまさに積み上げる、詰めて並べてくれと言わんばかりの形を持ったものを例にあげましたが、冒頭に書いたように自分の行動というのは必ずしもこのようなきっちりとした枠内に収まる、またこうした四角を連想できるものかと言われるとそうではない。すべての行動を連想した時に行き着く先が四角というのもなかなかない話ですが。そうは言っても、それが丸であったり三角であったりしたら、冒頭のような秩序立った積み上げの実感なんて、なかなか難しくなるわけです。

すでにこの話の結論は見えてきていて、自分の行動をまとまり、区別を連想した時に丸とか三角とか様々あるのであれば、連想されるものの受け皿としてある枠を用意すればいいわけです。
自分の行動を積み上げるに適した連想の形というのが、レゴやテトリスがわかりやすいように四角であるならば、自分の行動に枠組みを与えるときも四角であった方がいい。そうすると何で枠取れるかというと、時間なわけです。ある時間から、ある時間までという二本の横線はどこまで行っても並行なわけで、どこかしらの角から縦線を2本引けば、あっという間にある時間とある時間で囲う四角が出来上がる。こうしてある時間内に対する自分の行動を四角いブロックとしてイメージ出来るわけです。

非常に回りくどく言いましたが、よく言われる1日は自分の行動の積み重ねという言葉の”積み重ね”の部分をどうイメージするか、手帳に書かれた時間軸をじっと眺めて思うわけです。これ、要は枠だよなと。当たり前ですけどね。当たり前なことにほど、明確なイメージが必要だったりするわけです。

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