宮廷庭師の憂鬱

2012年を振り返ってみるものの

2012年に使っていたほぼ日手帳をつらつらと読み返してみると、その行為の効果や意義を通り越して、ただ単純に書いてきたものを読むという楽しさに浸ることがあります。目標達成の振り返りや、レビューといった”名付けられた行為”でないことを十分に理解しつつも、紙をめくる乾いた音と共に、そのときは有用かどうかわからない記述をした過去の自分との対話を行うのです。

この1年間ほぼ日カズンを使用してきました。今こうして一冊使い切ったものを前にして思うのは、まあよく使い切ったものだと。

元来飽き性な私ですから、よく途中で手帳を換えたりしなかったなあと。同じものを一年間使い切るというのは、よくよく考えたらそうないものです(ちなみにメモ用紙に書くときのボールペンはひたすら同じ物を使っていたりします)。

 

さて、ほぼ日カズン2012にはどんなことを書いてきたのかを少しばかり考えてみます。

 私はほぼ日カズンを仕事のことのみに使っており、ほぼ日カズンは仕事場に置きっぱなしにしています。職場がスマートフォンなどの機器、ウェブサービスへの情報入力を禁止しているので、そういったことは端から実施できません。それらに対して羨望する時間がもったいないほど、紙とペンで対応することが多いのです。

 そうすると手帳やノートが唯一無二の頼みの綱になってくるのですが、それにしたってスマートフォンやウェブサービスを使える人たちと同じ事をしなければならないのですから頭を使わざるを得ません。一年間を総括するとまず始めに思うのは、その壁は思いの外高かったということ。

 さらにその壁の高さに加えて、壁の周囲にはバリケードが設置されていることも。ひどく閉鎖的な環境(まるで宮廷庭師のような)で、ただひたすら毎日毎日同じ人の顔を見て、ただひたすら内省をし続けるということ仕事に、なにか自分のなかで活動的なモチベーションを見いだせるかどうかが最大の懸念事項でした。

 

(1)壁

→”手帳だけで管理しきれるのか?”という疑問がいよいよ湧いてくる。それはただのデジタルへの羨望でアナログで出来る事をやりきろうとしていない、ということではなく、”自分は端から手帳などで管理しようとしてきたけどこのザマ。とすると、周囲はどうなってんの?”というこの空間への疑問の再熱。そもそもそれを”諦めてしまった”職場だったとしたら。

 

(2)バリケード

→例えば1を変えていくとして、人を動かすために使うエネルギーの割り当てがない。エネルギーは1に関わることの消費で枯渇しており、手を回すことが出来ない。それゆえ、”とりあえず自分が良ければいい”という思考に陥り、周囲の”宮廷庭師”から疎まれる。

 

宮廷庭師の憂鬱

ほぼ日カズンをこの観点を基にして振り返ってみると、実に苦悶していたことがわかります。年間を通して振り返ってみると以下の事柄について多く記述していました。しかも疑問の考察が繰り返されるので、一冊使い切った今もなお解決しているとは到底言えないのでしょう。

 

①紙を使って迫り来る情報と付き合う

②閉鎖的な状況で自己を保つ

③壊れた時の自己再生

 

こうしてぼかしにぼかして書き並べますが、要は2012年は実に苦しい年だったわけです。ほぼ日カズンの記述を見ても、その内容が混沌としていることに我がことながら眉をひそめたくなります。

なんというか軋轢の年といいますか。ヤスリで神経を擦り付けられる思いを何度もした2012年と振り返ると、おまえに希望はないのかと言われてしまいそうですが。この振り返りというものについて、2012年から2013年の切り替わりというのは洞窟の中で見つけたセーブポイントぐらいなもので。進むのも戻るのも体力的に難しい、ここでセーブしたら街まで戻れなくなるという状況においてのセーブだったりするわけです。

明日はどっちだ大晦日。

広告を非表示にする