発想の個人的傾向とアウトプットの選り好み

 

R-style » 発想にも個人的傾向がある、ということ

 

 

 

 

発想の個人的傾向

発想の個人的傾向があるのだとしたら、次に気になってくるのは”あの人のような発想が出来たらな”という願望の達成。いやはや、難しいことではあるのですが、ちょっと気になってくるわけです。

そもそも”あの人のような発想”が出来るのかどうかの前に、”あの人のような発想”ってそもそも何だと考えるわけです。

発想の結果、なにか素晴らしくグレイトなアイデアがその人の目の前に提示されたとしましょう。それを見たその人はとても感銘を受けて、「あの人のような発想が出来るようになりたい!」と思うわけです。

その人は何に感銘を受けたのか問うてみても、あの人の発想に感銘を受けたのですともちろんオウム返しをしてくるわけでして。じゃあその発想ってなに?と聞いても、いや、発想は発想だしと。言葉が全速力で一人歩きしています。

本題に入る前に発想とはどういう行為なのか、なにをすることなのかを考えてみると、それは”考えた結果のアウトプット”、さらにいえば”何かしらの評価が与えられたもの”であると思うのです。

イメージとしてはアメリカンな値札がついた包みのような感じ。つまるところ、頭の外に出すこと、さらにそれに評価を加えることで”発想”という行為が完結するのではないかと思います。

  

考えた結果の内的なアウトプット

そうして発想というものが考えたことが形を成して誰かしらの評価が加えられたものだとするならば、個人的傾向というものは考え方そのものだけでなく、外へ出したもの「出来上がったものの"パッケージのされかた"」にも現れるのではないかと考えるわけです。

A,B,Cという要素があったとしてそこからどんな発想をするかというと、この結果が個人的傾向に依るのは確実です。

例えば「山、川、河川敷」でなにか思い浮かべてくださいと言われた時、私と”全く同じ”ものを思い浮かべるひとはいないでしょうし、似たようなものを思い浮かべるひとともなかなか出会えないでしょう。

だっていま私は、私の生まれ育った街を流れる川と、野球グラウンドを作れるほどの大きさの河川敷と、遥か遠くに霞んで見える山という、”自分の経験に基づいた”発想をしたわけですから。こうして自分の内側にあるうちは、誰しもが持つその自由な組み合わせと、その人にしか持ち得ない経験の使い様によって色々なわけです。

 

考えた結果の外的なアウトプット

その人の中にある発想のモトは、誰ひとりとして同じものを持つことはないでしょう。

ただ、前述した発想の傾向について、”パッケージのされかた”を考えるならば、誰かと似るということがあるかもしれません。思考するモトのA,B,Cの組み合わせによって千差万別な結果が生まれるにしても、それを外に出す場合にはどうしても自分の”選り好み”が起きるわけです。

TwitterなどのSNSに何かしらの投稿をするにしても、ブログなどに記事を書くにしても、私が頭の中で考えたことの傾向と、そうして外にアウトプットされるものの傾向は必ずしも一致はしないのです。

極端な話、いくら私の頭の中で猟奇的な物語を考えたところでも、対外的にアウトプットされているものの中にそのような猟奇的な話はなにひとつありません。

パッケージのされかたと表現するのは、それを(自分も含めた)誰かの評価の対象にすると意識しているがために、個人的傾向というものがわかりやすく現れるということなのです。

 

アウトプットには段階がある

ひとえに”発想の傾向”と言っても、それが内的なものか外的なものかという二面性があるのです。必ずしもこれが一致している必要はないですし、またこのふたつが同量で一致しているとなると、体の心配をしてしまいます。

ここで言いたいことは、”発想”から始まったアウトプットの結果は自分のうちに留めるものか、自分の外に出すものかで、”傾向が別れる”ということ。自分が何を好んで外向けにアウトプットしているかを理解していると、インプットをする際に闇雲というものが少なくなるように思えます。

またアウトプットという言葉をとってもそれには幾つかの段階があり、例えばここに書いたように内向きか外向きかの違いで、個人的傾向の違いというものが自分の中でさえ現れてしまうのです。

 

なんというか、考えれば考えるほど発想のためのインプットと発想のためのアウトプットって、こうやって整理をし始めるとそれぞれ”制御”出来そうな気がしてきます。でもやはり経験によるものが多いこともあって読んだり書いたりするしかないよねえと言わざるを得ないので、そりゃ、闇雲なインプットやアウトプットが起こるわなとも思うわけです。

どんなにスピードが上がっても、インプットとアウトプットの手綱を離してはいけません。

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