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思い出が腐る


”思い出が腐る”と聞いて、どういうことかパッと想像できたとしたら、私と美味しいお酒が飲めるかもしれません。

記憶することは必ずしも行為の終着を意味しておらず、なおかつ、それ自体何を持って完了するのかということがよくわかりません。私は今記憶をしましたとか、そう言うことは出来ますが、ではそれが実感として手に取るようにわかるかというと怪しい。「覚えろ覚えろ記憶しろ記憶しろ」と受験生の英単語よろしく記憶することに躍起になるのであれば、それだけ必死ならまあ記憶したよねと言うことも出来ますでしょう。ただ、それをテストの時に思い出せて「ああ、記憶したなあ」となるわけで、強引にしろなんにしろ「記憶する」と思って記憶する行為の最中は、確かな実感としてその行為の過程ないし結果を得ることは出来ないのです。記憶ゲージみたいなものがあってそれがどんどん溜まって行く様子が分かればいいんですけどね。

さて、こうして不確かな記憶というものを不確か故に適当に”扱っている”となかなか大変な思いをしますよという話です。言い方は汚くキツいですが、”思い出が腐る”というような言い方を私はします。
正直思い出したくもないようなことがあるとして、それがふとした瞬間に思い出してしまう。トラウマとか、フラッシュバックといった言葉が脳裏をよぎりますが、こと自分の責任において生じた出来事に対するフラッシュバックがこの”思い出が腐る”に当たるのだと考えています。
過去の自分の行為が今の自分を攻撃し始める。顔から火が出そうな勢いであったりするわけです(いや、顔から火が出るぐらいだったらまだマシか)。時には自分の生存にさえ恥じらいを覚えるようなものを思い出してしまうこともあります。

こういった”思い出が腐って”しまったものが、まるでそれが罰であるかのように今の自分を傷めつける時思うのが、「ああ、記憶の保存方法を間違えたのかな、”腐っちまった”のかな」と。こういうことを考えていくと思い出というものがまるで実体があり、サランラップで小分けにして冷蔵庫に入れられるようなことを思ってしまうわけですが、なんせ相手は思い出、そう都合よく行きません。
それに記憶というものが記憶対象となるその事象そのものをそのままそっくり記憶しているとは限りません。これも想像なのですが、事象をそのまま記憶しているのではなく、記憶しているのは記憶のタグであって、記憶は別の大きな閉架に格納されているのだと。それで時折そのタグが「こんなタグもあります」とおすすめされて、前述した”思い出が腐っている”と思えるような記憶がおすすめされたときに思い出してしまうのでしょう。記憶するその事象に対して自身の心の整理であったり、”納得が出来ていない”ような場合、ちゃんと保存されないのでしょう。そうしたことで、時間の経過がむき出しの思い出を侵蝕し腐らせてしまう。腐ってしまった思い出が、自分の鼻をつき、強烈な匂いが一気に脳内に充満して、嫌な記憶をざわつかせる。

えらく抽象的な話をしました。今のところ、記憶の模範的な保存状態であったり、どう記憶すればいいのかといったことは一切わかりません。方法さえあれば、それを今からでも実践してみたいです。”記憶の保存状態”、これをいま、自分の頭の中をそっと覗いてみてもパッとは出てこないでしょう。なんせこれは見ようとしたら見えないもの、見るつもりがないときに見えてしまう厄介なものだから。

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