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ほぼ日手帳と1年間

 
――「こんな大きな手帳であるカズンにたくさん書き込めるなんてすごいじゃないか」という”妄言”は、もはや、私には必要なくなったのです。
 
ほぼ日手帳カズンを使い始めてだいたい1年が経とうとしています。そうでなくてもほぼ日手帳というものを、年々使って3年目なのですが、このカズンを使い始めて1年ということがひとつの節目であるようにも思えるわけです。そしてその用途の変遷が自分の一年間を物語るようで、この先の数年をこの変遷が占うような気がして、なんともここにおいて振り返りを行わないと、それまでの自分(無意識に積み上げてきた)が手帳を変えた瞬間にオールクリアになってしまうようにも思えるのです。
 
ほぼ日手帳のオリジナルサイズは3年前から使っていて、ほぼ日カズンを使い始めるまではフランクリンプランナーオーガナイザーなどを使っていたり、品定めの期間があったわけです。手帳観の話になりますが、私としては「これを買うか買わないかで迷うまで迷え」という手帳の二大巨頭が「フランクリンプランナー」そして「ほぼ日カズン」です。前者のフランクリンプランナーはシステム手帳であること(オーガナイザーが出る前の話)、そして、ここにはタスクをここにはノートをといった”メソッドに従う”、そのメソッドを無視して使おうとするとそのメソッドのために用意されたテンプレートが邪魔に思えてきてしまうということで、あるとき断念をしました(高い買い物であったとは思いませんけどね)。ただそうすると、フランクリンプランナーから何に”戻る”かと考えたら、なかなかなかったのです。それまでは「いいなあ、大きくていいなあ」ぐらいにしか思っていなかったほぼ日カズンが最有力候補として挙がり、この後に及んでハンズやLOFTに行ってうんうん悩む必要もないわけで、ほぼ日カズンを何のためらいもなく購入していたわけです。ほぼ日カズンを手にした動機は、かのフランクリンプランナーで感じた違和感を解消する可能性のある大きな手帳だからと言うことも出来まして、それこそ「私とほぼ日手帳の出会い」といった具合に、ほんわかとした写真が掲載されるようなエピソードにすらならないわけです。
 
さてそうして手に入れたカズンですが、それまでもオリジナルを使っていたわけですし、ここにきて「ほぼ日手帳2冊体制」というものを実践していて、なおかつそれを難なく運用しているというひとは稀だと思われます。私自身も2冊体制としていますが、後述の通り失敗しています。自分が書き出せるもの、さらに言えば「”仕事”と”プライベート”と大きく二分されるこれらを書き出せるかどうか」その可能となる量が多いと、運用はうまくいくのでしょう。この辺については、また別に書いて行きたいと思います。
 
さて2冊で使い始めることになったわけですが、その変遷は以下の3つに分けられます。
 
①期待
・プライベート→カズン
・仕事→オリジナル
②転換
・プライベート→オリジナル
・仕事→カズン
③代償
・仕事→カズン
 
何を思い、何が失われたのか。使い始めた当初はカズンをプライベートなこと、ざっくりと言えば”仕事以外”に使おうとしていました。ライフログ”的な”ものにも、創作にも使おうとしていました。カズンのその容量が、自分の創造性の余地を拡げているようにも思えたのです。しかし、これが逆転します。仕事で使っていたオリジナルが仕事の情報を記録しきれずに、爆発したのです。「手帳が爆発する」なんて表現が出来ることを光栄に思いますが、とにかくオリジナルでは書ききれなくなってしまったのです。
そこでのんびりゆるゆると使っていたカズンと、オリジナルを交換することにしました。失笑されるほど大きな手帳を使い始めた私を周囲がどう受け止めたかは知りませんが、とかくカズンを使うことによってそれまでのオリジナルでは付箋を貼ったりメモ用紙を挟み込んだりしなければ解決しなかった容量の問題が大幅に改善しました。使い始めてみるとわかるもので、記入領域の大きさはうよく言われる「書けないことへの不安」なんてものはなくなって「書けることへの安心」に変わるということ。過去にほぼ日カズンの使い方として紹介をしましたが、これも「書けることへの安心」が大きく影響していることでしょう。
 
しかし、これはひとつの暗示でもありました。カズンを”必死こいて使っている”うちに、手帳2冊間のパワーバランスが崩れ始めたのです。③でプライベートが無くなるのは誤記ではありません。使わなくなってしまったのです。その最大の原因として、 平日におけるスケジュール・タスク管理の消滅、休日の無気力が挙げられます。この有様は、明らかに仕事用の手帳をカズンに変えたことが伏線となっています。カズンを使うことが問題なのではなくて、「カズンが情報で埋め尽くされる程の仕事」ということに早いうちに考えを巡らせておけばよかったのです。手帳を大きくしたことによって手帳自体のキャパシティは増えました。しかしそれを使う当の本人のキャパシティがなにひとつ増えていなかったのです。これは一年経った今思い返して見ても試練でありましたし、今もその状況から抜け出せているとは思えません。ツールの拡張が必ずしも適切に行われるかといったらそうではなく、無理に拡張したことによって、心体がそれに合わせようとして悲鳴を上げるなんてことが起こり得るのです。これは反省して然るべきことで、最初の頃は本当に辛かったです。今はといえば、プライベート用に手帳を持つということをそもそも考えず、”手帳ではないものたち”で管理をしています。持つことが重責になるのであれば、持たなければ良い。そう割り切ったことで、「あっ、なんでもいいんだな」と思うようになったことは、プライベート用の手帳を持たなくなったことで得た気付きであります。
 
さて、カズンで回るようになった仕事ですから、今さらカズン以外の手帳でこの重責を負えるとは思えません。今後もカズンを使って行くことでしょう(カズンの対抗馬とされる手帳が登場したら考えますけど)。カズン自体をどうこうするというよりも、今後はいかにしてカズンに書くことを減らしていくか、つまり書く対象そのものを減らしていくかということに力点が置かれるのでしょう。いくらなでもこれはない、と読み返しいて思うほどにびっちりと書き込まれたページを見るに、これからの私にはそれが必要です。これから収束させて整理させなければ。「こんな大きな手帳であるカズンにたくさん書き込めるなんてすごいじゃないか」という”妄言”は、もはや、私には必要なくなったのです。
 
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