セーブ出来ないゲーム


仕事をしているとどうにもこの人たちは「ファミコン」なのではないかなと思うときがあります。その性能と意味も若干はありますが、象徴的なのが「マリオブラザーズ」に代表されるように、”セーブ出来ない”ということ。セーブは抑制するといった意味ではなくて、ゲームにおけるセーブ、つまり進行途中で状態を保存するということが出来ないというのです。

これをどう言った時に感じるかというと、中長期的とは言えない(短期的と名付けるにはちょっと惜しく感じてしまう程度の)作業を行う時。例えば、どう考えても1日じゃ終わらないだろうと予測するときに起こります。”セーブ出来ない”というのは、”作業を日割りにすることが出来ない”とも言えます。これをしなければならないと考える作業が目の前にあるとして、それはいつまでに終わらせるのか、そうであれば今日はなにをするのかといった具合に、締め切りから遡って日割りにし(均等ではないにしても)それぞれに配分して行く、といった手順を踏んでいるのが常です(常ですと言い切れるかどうか揺れてしまっているというのが本心ですが)。

しかし、こうしたことを考え始めると、対象的な人たちのことが浮き彫りになってくるわけです。それが”セーブが出来ないひと”たち。私はこう問いかけられるわけです、「なんで途中でやめるの?」と。「えっ!?」と返してしまうこともありますし、言わずもがな実話です。

「途中でやめる」という発言の真意を探っていますが、恐らくこれは強迫観念やらプレッシャーやら、暴走する責任感なるものが影響しているのでしょう。しかし、ふと目の前にある作業を考えても「いや、締め切りまでにこれとこれとこれを、この日とあの日に終わらせればうまくいくでしょうに」と結論付くのに。「上司に言われたことは、締め切りがなんであろうと死力を尽くして今日中に終わらせなければならない」そして、終電を逃す(そのメンタリティを批判することはまた別の話なので、それはそれで働き方のひとつとしてはいいでしょう)。
オープニングとエンディングのみ存在する映画のようなもので、始まりと終わりが蓄積されるものなしに直結している、ということなのでしょうか。気軽に考えるにはなかなか難しいテーマのような気も。

「やめることが出来ない」ことは「作業を分割することが出来ない」という技術の問題よりも、「終わっていないことに不安を感じる」そして「明日がくるのが怖い」というもはや何かに取り憑かれている状態であるのでしょう。ちょっと、これに取り憑かれてしまうと厄介であるとヒシヒシと感じています。そしてそれが身近で起こっていること、も。

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