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マインドマップを描くか、書くか

 

私がマインドマップと出会ったのは、”マインドマップ”というものがだんだんと世に知られ始め、関連書籍やムック本がちょこちょこと出てきたことだったかと思います。大学の1年生だったかと。そうすると4、5年前ということになりましょうか。とにかく私にとってマインドマップというものは、初見にして「なんじゃこりゃ!」と目を丸くしたシロモノなので、なかなかこの年数には感慨深いものを感じます。

とはいえ今こうして振り返って見てもマインドマップというものを日常生活で積極的に取り入れてきたかというと、そうではなく。誰かに「マインドマップって何?」と訊かれたときは、「あー……えーっと……なんかにょろにょろしてるやつ」としか言えなかったりします。それはまあ冗談ですが、放射思考とか発散と収束とか、いろいろ説明したところで、最後には「で、何なの?」と訊き返され「にょろにょろしてるやつかな……」と言ってしまいそうになります。結局のところ、このマインドマップというものを理論から理解していないと言いますか、なんだかわからんけど、しっくりくる”やり方”だから使っているというようなものです。

さて、マインドマップとイラストの関係でもよく言われるように「絵が描けないといけないんではないか」という疑問が今もなお各所で湧き起こっているわけです。そりゃそうです、5年前に私が初めて見たときも「へー……絵が描けるひとはこういうことも出来るのか」とまるで他人事で、自分がそれを描くとは思ってもいなかったわけです。そうこうしているうちに、色ペンを買うこともなく、黒のボールペンひとつでにょきにょきと書き始めたわけです。

マインドマップを”書く”のか”描く”のかという捉え方があるように思えます。私はマインドマップを描くものだと考えていたうちはなにひとつうまく行きませんでした。ところがそれを書くものだと考えるようになってから、「ああ、今まで通りでいいんだな」と思うようになって、いつの間にか違和感を感じることなく、ノートに書いていたりするのです。ただそうして書いているマインドマップですが、フルマップ(本などで紹介されるような彩り豊かなイラストとブランチのあるマインドマップ)を描いた経験は片手で数えられる程になり、ミニマップ(下書きのような、文字と線と囲いぐらいの簡易的なもの)が大量に作られて行ったのです。

イラストがふんだんに描かれたフルマップこそがマインドマップであると言われてしまったら、私が書いてきたマインドマップはすべて紛い物であって、そこに展開された思考はマインドマップの方法を借りただけで、意味もなく並んでいるものとなってしまいます……という考えはもちろん違いますね。そんなことだったら、私はマインドマップではない別の何かを生み出して、そうして紛い物として切り捨てられたそれらを救う方法を提唱することでしょう。結局のところフルマップを描くことがすべてではないと理解するところから、マインドマップを使うということに違和感を覚えなくなって行くのでしょう。

いきなりフルマップを描いて、「自分の将来像」とか「自分の夢」とか「会社のあるべき姿」といったものをじっくり描いて行くこともよいでしょう。それと同じくらいに、簡易的に、そのエッセンスを取り入れた方法で思考の整理ややるべきこと・やりたいことの整理を手早くマインドマップに書いてみるということが、大切なのでしょう。フルマップとミニマップは相互に関係しあっていると考えます。だからこそ、当たり前のようにその方法を使うべき時に、ペンと紙を取り出していたいのです。

 
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