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価値観に反するなら愛想笑いを浮かべて黙るよ

 

一日の大半を仕事で埋めているのだから、自ずとここに書くことも仕事の何かしらにきっかけを持つ内容になるわけです。とすると職場観察日記にでもしない限り、自分の考察と行動が話のタネになるわけです。ただそういったことを文章化するしないに関わらず、自分の中でひとつ不思議に思っていることがあります。それというのも仕事の話を人に出来ない(しようとしても言葉に詰まる)ということなのです。

「君は本当に仕事についての話をしないね」と言われたことがあります。帰り道この言葉を反芻して、なんでだろうなんでだろうと考えるわけです。解けない。なぜ自分は仕事の話をひととしないのか。これにしたって大した理由もないのだと思います。ただ大した理由はないのだけれど、理由はなくともそれを求められてしまうこともある。

話すに値しないと思っているのか、いや、だとしたら話すことが出来る上で話さないとしているのだろう。しかし自分の場合はその話すことさえない。しかも口から発する言葉として話すことがない、と。

文章にすれば色々と書くことが出来ます。仕事での不都合を、この様に改善したとか、今度はこうすればうまくいくんじゃないかとか……と、書いているとふと思うわけです。「もしかしたら、こういうことなら話せるのかもしれない」そして、「相手はこういうことを聞きたいのではないかもしれない」と。このアンマッチが私の言葉を失わせるに至った原因のひとつなのかもしれません。

これについて思い返せば思い返すほど、思い当たる節はあります。「いつもそんなこと考えてるの?」「いや、そんなことじゃなくて愚痴とか言えよ」。こうしたことを言われて言われて、その都度、愛想笑いを浮かべて黙りこくって、”つまらない奴”の象徴とまで言われてみると、ああ、なんて自分は嘘がつけない人間なのだろうと少し悲しくなるわけです。アンマッチに対応出来ない、相手が望むような話をすることが出来ない。この手のスキルの未熟さは実に手痛い。

まるでそのスキルがあることが正義とも言えるような書き方をしていますが、そうとは思っていないというのが実際。口下手、付き合い下手、コミュニケーション能力の無さというよりも、ただ頑固なのか。価値観に反するようなことをその場その場で口にするぐらいなら愛想笑いを浮かべて黙るよ、とも思っています。これ自体が何かの機械損失であったり、自分の人生に損害を与えるようなものであると知ったら、考えなおす機会もあるかもしれません。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

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