”思い出す”のは疲れる

 

仕事で作業をするときに、その作業に関連する事柄を思い出してから、作業に取り掛かるということは往々にしてあることでしょう。 ただそうは言ってもその”思い出す”という作業に終始して、結局その時間でやりたいことが出来なかったということが起こり得るのです。現に昨日の私がそうでした。

 

とある作業に取りかかろうとしたとき、「待てよ」と、ある考えが頭に浮かぶわけです。「これ前にもやったような気がするぞ」と。自分の中では、類似作業の記憶を思い返そうとしているわけですが、昨日はこれに”失敗”しまして。失敗というのも、その作業自体に重大な影響を与えるようなものではないのですが、予定していた作業に取りかかれずに”思い出す”という行為に終始してしまったのです。

そしてさらに、やりたいことがやれなかったばかりでなく、とにかく”疲れた”わけです。思い出すという行為がいかにエネルギーを使うものであるかと、痛いほどに実感しました。こんなこと、過去にも何度も経験しているはずなんですけどね。戒めの如く、絶妙なタイミングで自分を痛めつけてくるわけです。なおかつそれが、脳のちからを活かすような環境ではない、響き渡る電話のベル、硬い椅子、低い机、埃っぽい空間でなんてことになったら。もはや思い出したいことを思い出せるかどうかの試合に、勝ち目はないでしょう。

 

Evernoteやノート術、様々なアプリケーションにツール、それらの方法をひっくるめて”記録”というものになっていくわけですが、ことこの記録というものを自分に最適化された方法で行うことができるのかというところは、各人の力量や工夫に因るということにもなってしまいます。私の話をするとすれば、”思い出す”ということが発生しやすい職場ではスマートフォンへのデータ入力、ウェブサービス、フリーソフトの使用が禁止となっていますので、使える手段といえばアナログ、もしくは”素のまま”のWindowsPCということになります。さて困った。何に困るって、”記録”はできるけど”検索”が非常にネックになっているのです。思い出すということは検索するということに近いはずなのに。解決に至る方法は未だ見つからず。この点、ちょっと路頭に迷っています。

 

”思い出す”という行為そのものを見直すべきと考えます。思い出すことが仕事の中で何度もある限り、自分の生産的な活動というものは阻害されるのではないかとさえ考えているのです。とにかく”思い出す”というのは、効果のわりには消耗する行為なのです。ゲームで言うところの、攻撃の命中率が低い大技みたいなものですね、ほんと。やらなくていいんなら、やらないですよ、ほんと。

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

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