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これは凄い!コロコロとボンボンをたった30分で読み切る画期的な10の方法

 

とかいうタイトルで煽ったりするとまあ、ひんしゅくを買うわけです。なんという背徳感。中身はなにひとつタイトルに書かれた10の方法に言及しないわけですから。特にTwitterなどのSNSではタイトルとリンクでしか判断できないでしょうから、こんなことしていると「中身違うじゃないか」というクレームがサポートセンターに入ってしまうのでしょう。平身低頭。

今まさにこの釣り糸を垂らしている私という人間が、よもやそんな記事を書くわけがなかろうハハハと思っていただけたのならこれ幸いなわけでありますが、しかし、こういうタイトルというのはもぞもぞとかゆいわけであります。こういったタイトルを付けて、文章で裏切るのはとても怖い。

いや、そもそもコロコロもボンボンも読みたきゃ今から読めよという簡単なことに落ち着くわけでして、言いたいことは決してコロコロやボンボンのことではないのもこの数行分でおわかりかと。そもそもなんでコロコロとボンボンにしたのか。そういえばボンボンってもうないんだっけ。

こうした”釣り”を使ってでも、タイトルの重要性についても話していきたいのです。なぜこのタイトルに釣られたのか。コロコロとボンボンという名前に懐かしさを覚えたからか、それとも10の方法が気になったのか。しかし残念なことに、その好奇心はこの記事では何一つ解決しないのです。実に由々しき事態であります。

 

ではタイトルの付け方に、どうやって技巧を凝らせばいいのか。それを考えていくとコピーライティングだなんだという話になって、まさに技巧と鍛錬の世界になるから、じゃあ手っ取り早く釣りタイトルを使おうと。

いやはや、言いたいことはタイトルに”せんせーしょなる”で刺激的な言葉を使うことの是非ではありません、それは歴とした技術ですから。一巡した感のあるブロガー界隈のブログ論ですが、先人たちが周回して作り上げた道というものはさぞかし歩きやすかろうと。歩きやすいが故にみんなが歩き、気がつけば辺りは人で溢れている。レッドオーシャンというよりは、観光地化と言った方がいいようなそんな”技巧”というもの。

 

とはいえタイトルの付け様を解決するにはテンプレートという、ひとつの技巧も必要です。それはとてもわかりやすく、誰もがそれに従えば難はありません。しかしわかりやすいものというのは、結果としてわかりやすくなったわけであって、本質からすべてわかりやすいかといわれるとそうではありません。

自身の記事を最終的にパッケージするタイトルが、例えばパッケージがすべて同じになったコンビニおにぎりと同じで、横並びになった時に「ああ、その味知ってる」となればいいですが、そうならなかったときに急に味気を失うのです。統一されたデザインの包みに「明太子」とか「梅」と書かれていて、明太子や梅がもはや記号化してしまっているのです。話が飛びました。

 

とかくあまりに便利な、先人が生み出したテンプレートに依存しすぎるとすべてが記号化し、自らを均質化してしまう。タイトルだけを横に並べたとき、パッケージが簡素であるが故に、大した興味をもたれないという事態になりつつあります。教室で一人だけ手を挙げるのが怖かったあの日に戻ってしまうのかもしれません。

とはいえ、後ろに続けと道を切り開く力が自身にあるかと言われると甚だ疑問であることは間違いなく。どちらかというと、誰かが舗装してくれればいいんじゃんぐらいの気持ちでガツガツとジャングルを進んでいってしまう感じでいたいのですが。この塩梅の難しさ。いやはや、むしろコンビニの梅おにぎりの方が味はいいではないか。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。