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ブログってなによ

 

ネタという言葉があまりにも広義で、じゃあネタってなんなのよと問うた時にやっぱりネタはネタだよと言ってしまいたくなり、例えば「赤ちゃんはどこからくるの?」と聞かれた時に「赤ちゃんはねー、コウノトリさんが運んでくるんだよー」と苦し紛れに応えて、子どもから「え、お急ぎ便はないの?」と返されて閉口してしまうような、そんな危うい定義の上に成り立っているわけであります。意味がわかりませんね。

 

【雑記】ネタってなによ - なんかカラフルな生活

 

 

 

 

半年前の自分が苦し紛れに書いたことが見え見えな記事を見ては、「ふっ、ケツが青いな貴様」と余裕しゃくしゃくで言ってはみるものの、今日というその日でさえ何を書くかに迷ってしまう自分もいるのが実情。なにひとつ変わってねえじゃねえか。

とはいえ、この記事を”苦し紛れに”書いてから今日に至るまで、ひとつのブレイクスルーとして見つけたポイントというものがあります。そのポイントというのは”ブログのネタ”とか考える前に、”ブログだと思わないこと”。これもまあ、なかなか自分勝手な思想に成り立っているわけではありますし、考え過ぎだろうと一蹴されて然るべきこととは思いますが。この視点を得たとして、さらに立ち返って考えたいのは「じゃあ”ブログ”って何よ」という問いかけ。

(ブログって何よ)

”ブログとはかくあるべきである”という確固たる指し示しが出来ない以上、自分が書いてるブログというものは、「いま使ってるのもブログだしなんか周りが書いてるのもブログだし、そんな感じかなあ」という曖昧な定義のもとにブログを書いていくことになります。

(いや、そもそも「ブログを、書く」ってなんだ)

書くのはわかるが、じゃあブログって何よと。わかりますかね。私には”ブログ”が何を示すのかこれっぽっちもわからなかったですし、仮に”ブログ”というものがウェブ上に用意された器だとするならば、「ブログを書く」というものはあまりに曖昧な言葉であると考えたのです。「料理をする」みたいに、じゃあ何つくるのよと。

これらを考えた時、私の頭の中にただひとつ群を抜いて思い浮かんだことが”文章である”ということ。自分が書いてきたブログというものをまじまじと観てみると、よくわかるのですが、これ、文章の塊です。今後一切「ブログを書く」という表現をしてはいけないとしたら、なんと説明するかと言われれば「文章を書く」と言うでしょう。これは自分に限った話でありますし、他の定義もあってよろしいものであります。むしろそうでないと、”ブログを書く”なんて自由な言葉は生まれない。

私にとってブログというものを構成している一番の要素が文字であり文章であることに、とてつもなく大きな意味があるのです。

「ああ、これ文章だ」

文章、文章と連呼していますが、私にとって”文章”というものがどんな価値を持つかは延々と語るわけにもいかないので控えます。しかしまあ、とにかく私にとって”文章”というものは限りなく根源的な欲求を満たす、毎日の生活の中で「書かないとやってられない」という瞬間の衝動に対抗しうる唯一の手段なのです。

ここまで書いてきてようやく”ブログと思わない”という話に戻ってくるわけでありますが、この”ブログと思わない”ということは即ち「曖昧な定義の枠組みの中で文章を書こうとしない」ということであります。私にとってブログとは文章が集う場所を示しており、ブログを書くとは何か具体的な行動を示す言葉ではないのです。

そうだとすると、ブログではなく文章を書けば良いという発想になるわけです。いままで私が書いてきた文章というものを包み隠すことなく、方々で発信されるブログの書き方なんてものに惑わされることなく書いていけばいいんだという、ごく当たり前なところに着地するわけです。ハイ、着地するまでが長かった。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

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