平日と休日の境界

f:id:yukimid:20121021231710j:plain

photo credit: kugel via photopin cc

 

休日というものは実に待ち遠しいものです。金曜日の高揚感といったらまさに、沈みゆく太陽に向かって「きゃっほーう!」と叫びながら飛び上がりたいものであります。当の私も毎回叫びたくなるもので、職場のあるビルの玄関を出た瞬間…夕陽に拳を突き立てて叫びます。

 

「きゃっほーう!」

 

平日に働いて土日は休日となる働き方をしている手前、この休日の二日間は自分が自分であることの出来る貴重な二日間であります。嗚呼、なんとすばらしい。しかし現実というものは実に非情でありまして、そうしたすばらしい休日というものを見るも無惨なものにしてしまうのです。嗚呼、なんとかなしい。

”休日の過ごし方”というものは、普段私たちが”働き方”を気にすることと同じ具合に気にしなければなりません。というのも休日というものが自分の裁量ですべての行動を決められる(婚約されていたりお子さんがいらっしゃる方はそうとも言えないかもしれませんが)ときに、そのすべてが決められるがゆえに何も決められないという状態に陥る可能性があるのです。

よくよく考えてみると「仕事をうまくこなしたい。だから仕事術などを知ろうと思っている」という人が真っ先に出会うのはそういった仕事術の類ですが、「休日をうまく過ごしたい。だから休日の過ごし方を知ろうと思っている」という人が出会うものといえば、やはり仕事術を”匂わせる”ような情報であったりするのです。

ここにちょっとした落とし穴があって、それというのも”休日をうまく過ごす”ということと”平日の仕事をうまくこなす”ということに対する行動の姿勢が、意識化無意識化でつながってしまっていることなのです。そうすると平日でうまくいっていないことは休日でもうまくいかないという状況が生まれるのです。

この”平日の仕事をうまくこなす方法”と”休日を豊かに過ごす方法”の意識の境界が曖昧になってしまうということに、どういった問題があるのでしょうか。前述した「自分の裁量ですべての行動を決められる」ということがここ最大の注目点となります。

仕事術というものは特定の作業をうまくこなす方法から自身の生活の向上に至るまで、幅広く存在しています。それらを平日においてうまく回していくことが出来ていない以上、より自分の行動を自分の裁量で決められる休日だけ際立って充実した生活が出来るとは到底思えないのです。恐ろしい話です、うまく過ごそうとするならば一日の生活をデザインしなければならないのですから。平日ですら出来ていないのに。

とすると、生活の質を改善するような方法というものは平日その一日をピンポイントに考えていくのではなく、休日を含めた一週間という単位でどう行なっていくことが出来るかという視点が必要になってきます。一日の積み重ねであることは確かですが、その一日を一週間という単位にまとめてみると行動した結果の品質がどれもバラバラであったら、果たして日々行動を積み重ねることに大きな前進感というものはあるのかどうか。

自分の生活と仕事との両立という視点で仕事術を知ることはありますが、仕事から離れた自分と休日との関係をも考えておかないと、一週間という単位で見た時に自分の生活というもののバランスが崩れ始めるのです。あります、平日は仕事をうまくこなすために積極的に仕事術というものを取り入れているけれど、いざ休日になってみるとペースメーカーを失って何もできなくなってしまうこと。ひとつ始めた仕事術を休日も含めた一週間でどう運用していくのか、これを考えてみること。最近、この重要性に気が付きつつあります。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

広告を非表示にする