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入魂原稿の消失

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photo credit: john_a_ward via photopin cc

 

きっかけというものは実に些細な事であるわけでして、それは往々にして突然死角から飛んできたりするわけです。 

 

【企画】同人活動×ライフハック=同人ハック! #doujinhacks - すみっこの記
 

豪速球です。 @yunokixxx さんからお誘いがあり、つらりつらりと自分を振り返ってみて書き始めを考えるわけです。記事自体は別に書いていこうと思いますので、じゃあこの記事は何なんだという話になるわけですが、なんのことはない自分のために書いているもはやメモ書きみたいなものなのです。

どういうことを書いていこうかなあと思うているうちに、ふとこれまでの同人活動が走馬灯のように蘇り、ああ、日の目をみなかった原稿たちが天に昇っていく……とひとりうわ言を。意味がわからないですよね、私も意味がわかってないです。

とかく紛いなりにも字書きである手前、対面するものは原稿であって、その原稿と私の関係というものを考えていくことにはなります。

はて、どうしたものか。以下、頭からおしりまで本当に思いつくままに書き散らしてみることにします。

 

 

 

そもそも”原稿”というものを考えるとき、自分の中でどうにもしがたい苦い思い出が蘇ってきます。その思い出というものは、経験する人は経験し、経験しない人は経験してからでないとその苦さがわからないという思い出です。何のことでしょうか。世にも恐ろしい原稿のデータ消失です。

中学生高校生辺りであればいくらスマートフォンの普及による環境の変化があるにしても、自宅のパソコンでワードを開いて原稿を書くということが一般的でしょう。これは大学生になっても同じでしょうし、社会人になっても同じでしょう。しかしまだまだ原稿というものはWordと共にあるのです。私もご多分に漏れず我が家の共用パソコンを使って原稿を書いていましたし、大学生になって自分用のパソコン(ちょうどミニノートが流行った時期)を手にしてからもやっぱりWordを使って原稿を書いていたのでした。

同人活動という世間様から見たらなにをやってんだかと言われてしまうような、日常生活において秘匿としてしまうような活動ではありますが、当の本人からしたら世間体よりも迫り来る入稿期限ないしはウェブサイトへの公開期限との戦いであることはおわかりのこと。こう回りくどい説明をしますが、そうした(独りで)切迫した創作というものをしていた自分にとっては「原稿のデータ消失」というものは、絶望に等しいのです。

それは突然やってくるもので、突然やってきては絶望だけ残して去っていきます。涙ながらに修復しても、そこにあるのはマイナスをゼロに戻そうとする労力だけ、元いた場所に戻ろうともがくだけというなんとも後味の悪い作業なのです。それを経験したのは2回ほどで、紛いなりにも同人活動というものを初めて数年が経つなかで2回が多いか少ないかは別として、これらについては忘れようがありません。1回目はパソコンのハードディスクの”物理的な”破損(ハードディスクが割れた)によって、2回目はUSBの紛失によって。どちらも今思えば、馬鹿らしい話です。ただそれを馬鹿らしいことをしたものだと思えるようになったのは、これらを経験したうえで対策を行った結果、知識が増え未然に防ぐ手段を得たからだとも言えます。それにしても高い授業料だと思いますが。

 

血涙しながら寝る間も惜しんでキーボードを叩きまくったのは言うまでもなく、そうした苦労話は笑い話としてとっておくとして、ではそもそもなぜこうしたことが起きるのかということについて考えることにしましょう。

問題となるのはその原稿を完成するまでにかかった時間を、”自ら投入した資源”と考えることができるか。この感覚を持つことができるかどうかで、自身の作業結果に対する扱いというものは変わってきます。ともすれば原稿というものは完成そのものに目が行き、入稿・投稿してしまえば「よかったよかった」と締めてしまいがちです。その作業にどれだけの時間がかかったか、またどれだけの時間をどのようにかけたかということを省みるということがないのではないでしょうか。原稿を書くという行為は時間、体力気力、執筆に至るまでに作成した資料等々を束ねて作業時間に置き換えることが出来ます。つまりそれにかけた時間がどれだけかという価値を計ることが出来るのです。

ここで言いたいことは長ければ価値があり短いと価値がないということでは決してありません。言いたいことは時間をかけたという事実があるということ。その「.doc」「.txt」とついたファイルには、価値ある時間が注ぎ込んであるものだという意識なのです。

しかしまあこれが捉えづらい。ファイルサイズが増え文字数が増えていれば、その重みがあるかと言われればそうでもない。こうした捉えづらいものを、注ぎ込んだ時間を代償にして扱っているわけです。そうすると前述した「データの消失」というものを未然に防ごうということが頭に浮かんでくる可能性は低くなります。なぜって書くことにいっぱいいっぱいでそれがどれだけの時間をかけたかなんて捉えづらい価値というものは、完成してからちょっと頭に浮かぶくらいなのですから。そしてデータは消える。

この原稿に対する価値を”完成したかしていないか”の前に、投入した作業時間、つまり”時間”と置くことが出来れば自然と次に取る行動は決まってきます。ここまで長々と書いてきていいたいことはこの行動に集約されます。つまり、「原稿のバックアップを取れ」と。しかもパソコン以外のところに。USBでもSDカードでもなく。その原稿に”雲”の御加護をという言葉を置いて、具体的な方法についてはまたの機会にしましょうか。考えを終えられそうにありません。

 

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。 

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