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作業時間の記録は前を向いて行う

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photo credit: Express Monorail via photopin cc

  

必死に足元ばっかり見ているとどこに進んでいるかわからなくなるものです。

最近一定の時刻になると職場を出ることが出来るようになっています。それは”シゴト”というどこまで行っても掴み所がないものと対峙したとき、こちらの処理能力が上回っている状態だからこそ可能なのかもしれません。もちろん波というものはありますし、これからどんどんとこの防衛ラインを超えてくることは確実なのでしょう。そう考えるとげんなりしますが、必然のことなら準備もできるというもの。

一定の時刻に終わらせることが出来るという状態の維持に一番貢献しているであろうことが、”完了予定時刻”と”完了時刻”の記録です。なんのことはなく、手帳のデイリーページに”完了予定時刻”を朝書き込み、”完了時刻”を退社前に書き込む。ここに精確な見積りはありません。”願望と予測”によって書き込まれた時刻です。精確に何時に終わるかを割り出すことの前に、「終わりたい時間に仕事を終わらせるためにはどう動けばいいか」という感覚を身につけるためにあります。

こう書くとざっくりとしてはいますが、私のこの1年間の失敗と反省として「記録を行うときに詳細から入ってしまう」というものがありますので、このざっくり加減は軌道修正の第一歩であったりします。どういうことかといいますと、細かいところ(つまりいきなり分単位の時間記録を始めたり)に力を入れてしまったがために、自分は真っ直ぐ進んでいるつもり、修正しながら真っ直ぐにしているつもりでも、鳥瞰してみると緩やかなカーブを描いて曲がっているというような事態です。足元見ながらミリ単位で方向修正をして、それに必死になっていてふと顔をあげたら「どこだ……ここ」と。「違う違う! 方向間違ってる!」と叫んでくれる人がいないのです。これはまあ比喩ではありますが、大局を見失った詳細な工夫というのは労力の割には効果の薄いものであると、痛い経験とともに思い返すのです。

作業時間などの記録については、こうした大枠から段階的に実施していったほうが習慣として定着しやすい。もっといえば目指すところ(詳細な作業時間の記録と、完了予定時刻の算出)を行うための土台作り、皮膚感覚を鍛える行為でもあったりするのです。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。 

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