リスクの総量は変わらないどころか増えていく

 

自分が作るチェックリストというものは実に今の自分を映し出す鏡だなあ、と乱雑に記されたチェックマークを眺めたりします。

以下の様な記事を以前に書きました。”シゴト”というものが牙を剥き、精神的にも参っている時期で今読み返しても、腕を組んで分析するに値するものだなあとひとり思っていたりもします。

 

わたしはなぜチェックリストを使うのか - なんかカラフルな生活

この記事を書いた当時は”チェックリスト”=”自己防衛の要”と捉えていました。確かに、チェックリストを使用していくうちに自分の精神を守るための鉄壁の盾であると感じました。一度構築した手順は”それ”が示す道筋を進み、間違っているとしたら”それ”を修正する、「何をすればいいのかわからないから不安」という攻撃を打ち砕く盾なのです。

しかしこのままでは防戦一方、いつまでも襲い掛かるリスクの総量は変わらないどころか(うまく防いでいるように見えても)増えていきます。そもそもそのリスクがなんなのか定義できていない、言葉にできていないような”突然襲い掛かる得体のしれないもの”と真っ向から戦ってはいけません。言葉に出来ないというのは、例えばその事象を「障害対応」という簡単な言葉にすることはできますが、それがなにを示しているのか明確にできない部分が残っているというようなことです。

そういったボヤボヤしたものに真っ向から挑んでいいのは、自分の体調、精神、気力、知識、経験、戦術、戦略、そして運が最高潮の時だけです。私たちは今まで”運良く”致命傷を避けてきただけで、その実、ボロボロなのです。治っているように見えて、忘れているように見えて、累積ダメージは次回に引き継がれています。

さて、防戦的な運用はいずれ限界が訪れます。その時が盾が壊れる時であり、切っ先はまさに自分の眼前に突き立てられてしまうのです。とすると、チェックリストを使って自ら”リスクを潰しに行く”ことになる。盾がトラブルを防ぐならば、剣はトラブルの元を絶つ。

実に聞こえはいいですがどうするのかと。トラブルの根源潰しは「自分の不手際・至らなさによるもの」と「自分ではどうしようもないもの」のふたつに別れます。後者はどうすることも出来ないでしょう。どうにかすることが出来たらそれこそ、世の中のすべてのひとを救い出すことができます。前者はなんとかなるかもしれない。

上記のチェックリストの運用を踏まえて、これを潰しにかかるということを最近行なっているのです。代表的なものとして、人に関係するタスクをハイスピードでこなすということ。問題が起こるならばそれは人が引き起こしているのですから、真っ先に片づけます。私が置かれている環境の問題かとは思いますが、明確な意思決定者が近くにいません。とすると、すぐに周囲は”決めることが出来ない集団”と化し、すべてが後手に回ります。この停滞がスピード感の喪失が、自身を苦しめる原因だとこの夏に悟って以来、この人に関係するタスクを処理するということを主眼に置いたチェックリストを作成しています。特に、順を追って人に質問をしていった方が良い場合などは効果を発揮しています(しているように思えます)。

環境・条件に左右されることもあるとはいえ、手順に固執しない変化に対応する柔軟なチェックリストというものは知識と知恵を凝縮させた結晶のようなものであり、さらにそれを使うときに経験というものが加わると大変心強いものとなります。私自身、まだ社会に身をおいて1年ちょっとですが、この時点でこうした”あれやこれ”を捻り出さなければならないというのは、実にサバイバルな、頭を使うことを求められている状況なのだなと常日頃、感じております。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。 

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