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考えることを始めることと、やめること

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photo credit: 96dpi via photopin cc

 

毎朝毎朝通勤電車のつり革にぶら下がっては、高速で移動する自分の視点から観る景色に飲み込まれています。そういうときは大抵、ぼうっと車窓を眺めているように見えて頭の中では何かしらについて考えを巡らせていたりします。自分が高速で移動している不可思議さはさておき。その通勤電車という環境、めくるめく景色の中で、自身が今まさに考えていることに明確な答えが出せたことが果たしてあったかどうか。あるようなないような。そんなことだから、”思考の始め方と終わらせ方”について考えてしまうのです。

通勤電車の中で考え事をするとき、人が密集するという特殊な環境下において自分が果たして考え事が出来るのかと言われたらノーです。通勤電車に乗車している自身の身体の状態が思考に深く影響しているのかどうかわかりませんが、通勤電車では思考が長続きした覚えはありません。降りる駅は気にしていないといけないし、電車の揺れも、つり革に掴まることも、それらに意識的無意識的に気にしている状態で、”さて考え事をしよう”ということがなかなか難しい。とはいえ、時間というものは幸か不幸かすべての人に平等に分け与えられていて、どんなに電車内で考え事をすることが苦手だからといって、その時間を「ぐぬぬっ」と奥歯をかみながら何もしていないでいるのは実に惜しい。乗車時間と反比例してものすごい勢いで減少していく気力をいかに思考することに注ぐかに頭を使わねばなりません。こうした環境による影響が大きい状態で、考え事をするには方法の選択が必要です。

まず、”思考の始め方”として”考えることを明確に設定”する。「あれも考えなきゃなあ、これも考えなきゃなあ」と”考えることを考える”というのも良いかもしれません。しかし、とかく流れ込む発想の流れが外的要因(ストレス)ですぼんでしまっていることを前提にするとなかなか難しいでしょう。ですから私の場合は、”落ち着いた”環境で予め考えておいた”考えたいこと”の中から選んで、それについてのみ考えるようにしています。あとはそのときの自分がどう考えを組み立てていくかです。

そうすると、ここで次の”思考の終わらせ方”が出てくるわけです。ともすれば「まだ出てくるかもしれない」「いや、これ以上出せない」「だめだ、答えを出したい」「くそっ、気が散る」「ぐあああっ」という、”考えたはいいけどなんかただ疲れただけ”というような事態になりかねません。”思考の終わらせ方”とは「考えに結論を出す」ということと「考えることをやめる」ということのふたつの意味があります。こと今回のような通勤電車で考え事をする場合は、「考えに結論を出す」ことよりも「考えることをやめる」方に潔さを求めるべきなのだと。つまるところ、「結論を出すための材料、広がり、含みを持たせるために考える」そしてそれを「きっぱりやめる」ということ。方法の選択とは状況によって始め方(ここでは考えることを決めること)と終わり方(潔くやめること)を選ぶことでもあります。

前述したように私の脳は環境に左右されやすい。それが如実に現れて、結果にしょんぼりすること数知れず。時間はあるようで無いけれど、無いと思えば思うだけ焦燥感が増してしまうというもの。だからこそ、こうした方法には気を遣っていきたいものです。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

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