人生について誰に急かされていたのか再考してみる

 

さて、”人生の目標”とな。

 

人生の目標を決める2つのアプローチ | Lifehacking.jp

 

 

 

 

”人生の目標”ということを言われてしまうと、斜向かいのお宅の肉じゃがの味ぐらいに想像がつかないものだと今までの私は思っていました。

到底及びもしない不安定な想像の先に、そこに行く方法さえも知らない虚像の世界というものがあったりするわけです。しかも、それというのは誰かに急かされて作り上げた突貫工事の世界であったり、不安に駆られた自分が作った楽園であったりするのです。

例えば就活中の大学生にしてみれば、誰が設置したかもわからないタイマーの数字が刻一刻と減っていく事に頭を悩ませ、目にする情報が暗に自分の人生の目標を数ヶ月で作れと囃し立て、内装の完成していない豪勢な城を紹介し始めるわけです。かつての私がそうでした。就活中に私の口から出た言葉をいま思い出すことができません。そんなもんだったのです、人生の目標なんて。

さて、そんなもんだった人生の目標がこうしてここで再考されるにはわけがあります。

上段に掲載した記事ですが、つらつらとEvernoteを眺めていた時に見つけました。これをかつての自分が、2011年2月の自分がどういう気持でクリップしたのか、今でも手に取るようにしてわかります。”人生の目標”という言葉に対しての人々の反応は実に様々です。「そう、私には人生の目標がある」、「いや私は人生の目標なんてものを持ちたくないが、やりたいことはある」とか「……私は何も考えていない」といった具合に。それは方々のブログ、Twitter、Facebook等々で語られているわけです。

当の私はこの3つを行ったり来たりしていました。「私には人生の目標がある」というのは、「行きたい場所もわかってるし、行きたい場所への方向もわかっている、あとは進むだけ」という状態でしょう。実に憧れます。「人生の目標はないが、やりたいことはある」というのは、今を生き、その先に満足があるという連続性の波に身を委ねるということなのでしょう。実に憧れます。「何も考えていない」というのは、何も考えていないということなのでしょう。実に……。

その「何も考えていない」というのは、よくよく”考えて”みたら、「考えているけど、考えようともしたけれど、”しっくりくる”ものがない」ということなのでしょう。”人生の目標”、将来についての漠然とした不安を払拭するかのようなこの魔法の言葉の魔力に、力が及ばなかったのでしょう。私がそうでした。この”しっくり”というものは実に厄介で、しっくりなんてそう都合よく見つかりようもないのです。そもそも皆が皆しっくりきているかなんて、そんなこと言いようもないのです。むしろしっくりきていない方が多いに違いない。しっくりくることにこだわらず、考えようとしたという行為を小さく褒め、それを”継続する”。これでしかない。

と、再考してきたわけですがこうして考えている間にふと気付くわけです。「今は誰に急かされているんだ?」と。誰だろう。誰に”人生の目標”なんてものを定めるように急かされているんだろう。自問する自分に自答する自分という奇妙な構図に、あははと乾いた笑いをひとつ。焦る必要はない、焦らせているのはもはや自分でしかない。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。