失敗したら、事象と感情を情報に変換する

 

怒られることは、あまりありませんでした。

幸か不幸か、小さい頃からそうでした。

ただ、失敗することはよくあります。

それも明確に失敗とわかるものよりも、後々になって「うわぁ……」と枕に顔を埋めたくなるような、そんなジメジメとした失敗ばかりなのです。

厄介です、そういった失敗は自身の心に影を落とすので実に厄介です。

 

どんな人でも大なり小なりありますでしょう、ヒトは失敗をするものです。

では、常日頃起こるその”失敗”というものに大人になった今、どう対応していけばいいのでしょうか。

 

シゴタノ! 失敗したときは、ノートを取り出す。

 

 

 

 

2012年2月11日のシゴタノ!( http://cyblog.jp/modules/weblogs/ )にはこんな記事が投稿されていました。

失敗と向き合う上で、失敗という情報をどのように捉えていくか、その具体的な方法が記されています。

 

この記事を読んだのが2012年の2月。ちょうど新入社員としての1年目を終える頃で、初めての”年度の振り返り”をしようとしていたときでした。

ただ振り返ろうにも振り返るはっきりしたネタがない。

しかも、特に重要な「出来なかったこと・失敗したこと」が「どれだけ出来るようになったか」をまったくもって振り返ることが出来なかったのです。

それはなぜか。「出来なかったこと・失敗したこと」を記録していなかったのです。いや、正確に言うと「フォーマットを揃えて記録していなかった」ため、「出来なかったこと・失敗したこと」を1から探しに行かなければならなかったのです。実に大変な作業でした。

 

なぜ、わざわざ記録に残すのか。それは人が覚えているものががたいてい「大きな失敗」だけだからです。背筋が凍り付くようなミスをしてしまったことは印象が強く、記憶にも残りやすいものです。でも、ちょっとしたミス__小さな失敗__はすぐに忘れてしまいます。via: シゴタノ! 失敗したときは、ノートを取り出す。

 

そうなのです。

確かに仕事をするなかで大きな障害が発生したり、大問題で深夜まで働かざるを得なかった時のことは、1年経った今でも朧気ながら思い出すことは出来ます。

しかし、捉えきれなかった小さな失敗はもはや忘却の彼方。取り戻そうにも、記憶の扉は固く閉ざされてしまっています。

 

では、それからどうしていったか。

まず仕事用に使っているほぼ日カズンのデイリーページに、その日発生した「失敗したこと」を記録するようにしました。

このときに書く場所は固定しました(私の場合は、ページの右上に書きました)。決まった場所に必ず書かれるのですから、後から探し出すにしてもそこを当たればいいわけです。

そして書く内容は、日時、関係者、内容、さらにそのときに考えうる改善策をサッと書いたのです。

深く考えれば深く考えるほど、ドツボにはまるということはままあります。それが精神に甚大な影響を及ぼしてしまうこともあります。ですから、詳しく書き過ぎない(”考え過ぎない”)で情報を記しておきました。

 

その後ほぼ日カズンの決まった場所に書かれた内容は、仕事用モレスキンに転記されます。

仕事用モレスキンの終わりから5〜6ページを確保し、そこに情報をまとめていきます。

失敗への対策と行動はここから始まり、改善はここから生まれるのです。

まだ道半ば、一歩すら進んでいないのかもしれません。「失敗を改善に仕向ける方法」は試行錯誤の連続ですし、さらに「失敗を”自動的に”改善に仕向ける方法」は考える余地があります。

 

「失敗」の記録を残しておくのは、かかる手間に比べるとそのメリットは大きいものです。もちろん、単に記録を残すだけではなく、それを分析し、改善点を考えなければいけません。そして、そのために行動を実際に行う必要もあります。via: シゴタノ! 失敗したときは、ノートを取り出す。

 

失敗した記録をすることは時折、自分の心に影を落とすこともあります。

しかしそれは、記録する方法とちょっとした自分への自分の気遣いによって、改善につなげることが出来るのです。

失敗を失敗と陽気に流さず、また失敗を失敗と悲観して涙せず、記録という情報に落としこんで分析していくこと。

事象と感情を、情報に変換して蓄積していく。

そうすることが、成長のひとつの方法なのかもしれません。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

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