ライフログとはいえ「悪いこと」を血涙してまで書く必要はない

f:id:yukimid:20120826104452j:plain

photo credit: koalazymonkey via photo pin cc

 

ほぼ日手帳をこうして毎日使っていると、ふとあることを思う時があります。

「嫌なことも書くべきなのだろうか?」

もし私がそのことを誰かに問われたとしたら、「書きましょう」ということでしょう。

「書きましょう」と言った後にこうも付け加えるでしょう「良いことも悪いこともログとして残しましょう」

確かにそれは「その日何をして何を考えたか」を記録するためには必要です。 

しかし最近、こうもあっさりと言ってしまっていいのかと考えるのです。

まずこのお話をする前にお断りとして、私は「良いことも悪いことも書くのがよい」という立場に立っています。

これを盲目的に賞賛しているわけではありません。

ただこの立場に立つなかで、問題とするのは「悪いこと」の方なのです。

 

 

まず「良いことも悪いこともログとして残しましょう」という時に、そこに感情のバイアスがかかることを私自身考慮せずに言ってしまっていると気付いたのです。

勢いを増している”ライフログを取る”という時流に、右から左に流すようにこの言葉を言ってしまっているのです。

「悪いこと」についてちょっと考えが足りなかったと。

なぜそう感じるのかというと、私自身ほぼ日手帳のデイリーページに”DoingList”というものを設けて、一日何があったのかを時系列で書き込んでいることが影響しています。

この”DoingList”には「誰かからどんな内容で話しかけられた」とか、「どんなやるべきことが生まれた」とか、気づきと言った多種多様な情報(ログ)が書き込まれています。

定形ではありません、様々な書き方で書かれます。

そういったものを本当に上から下まで書いていったのです。

しかしあるとき、それがパタリと止まります。

めくってもめくっても、DoingListが未記入なのです。

7月中旬頃から心身に変調をきたし、思うように仕事が出来なくなってしまったということがあります。

そのときのDoingListがまさに未記入の状態なのです。

 

 

なぜ、ログの主幹たる”DoingList”が未記入となったのでしょうか。

「情報を書く」と「情報を解釈する」は同時に起こす事が出来ても、本来なら順を追って行われるべきです。

「書いた情報を解釈する」というのが順当な流れでしょう。

しかし、私は「書きながら解釈してしまった」のです。

ただ、それだけなら何ら問題ないでしょう。

でも私は「心身にダメージを与えるような(心を蝕むような)事象を、その場で解釈しながら書いていたのです」。 

 

 

「良いことも悪いこともログとして残しましょう」という言葉の危うさをここに見出しました。

「良いこと」を書くときにはなんら問題ないでしょう。浮かれて物をこぼすぐらいの心配をしておけば。

ただ「悪いこと」を書くときに、注意を払わなければならないのです。

「悪いこと」というのは時として連続で発生します。

それが耐えられるものか耐えられないものかは別として。

椅子に縛り付けられて、一日を過ごすような場合。

「悪いこと」からの逃げ道がどこにもないのです。 

思考を逃した先のほぼ日手帳なんぞ、「悪いこと」の手がすでに回っていて。

「良いことも悪いこともログとして残しましょう」という言葉に従って、「悪いこと」をなぜそんなことがあったのか、なぜそんなことになるのか、なぜそんなことを言われるのかと解釈を始めます。

そうして書くことを、続けようとしていたのです。この一行を書くために膨大なエネルギーを消費しました。

「悪いこと」を解釈して、咀嚼するというのはとてもエネルギーを使います。

ポジティブシンキングでなどとは決して言いません。

手先の方法を変えれば済むことではなく、それはもはや自身の精神の安全に関わることなのです。

そこに書かれたことを見るだけで、おぞましい気持ちにさせられます。

「悪いこと」があまりに蓄積しているログは、それ自体が自分の精神の安全を脅かし始めるのです。

 

 

では、「良いことも悪いこともログとして残しましょう」という前提に立つのであれば、この問題とどう付き合えばいいのでしょうか。

この場でも何度も書いているのでお分かりの方もいるかと思いますが、生活の大半を占める仕事ではそのほぼすべてがアナログに依存しています。

故にほぼ日カズンがその主戦場となるわけです。

前述したようにそこに”DoingList”を設けて、時系列で記録をしていくことは変わりはありません。

ただ、「悪いこと」自分にとってこれは精神状態を不安定にさせる「ヤバイな」と感じる出来事について、書き方を変えました。

それは、そういったログを記録するときは「徹底的に情報を省く」ということです。

後々に思い返せなければ意味が無いから詳細に書くべきということもあるでしょう。

しかし、情報を解釈するということを後回しにしたい(なるべくそのことにエネルギーを使わないようにしたい)ので、この”書く”という行為には最低限の労力だけを使いたいのです。

例えば、名前、出来事の略字(ミーティングならMTG、電話ならTELといった感じ)、簡単な内容、そして登場人物だけを書いておきます。

それ以上のことは書かないようにします。

「○○だと思った」「××だろうか」などと所感は入れません。

心がダメージを受けているときはその場で解釈してはいけないのです、記録だけします。

こうしてログを書くとき、見返した時のダメージ(げんなりやショック)をやわらげます。

自分の精神の安全を脅かすようなことまで、必死にならなくていいのです。

 

  

私のほぼ日カズンのDoingListが未記入だったこと、先月の不調を振り返ってみて、こんなことをもそもそと考えました。

ライフログを取るということは、とても有意義なことです。

しかし、自分の嫌なことを思い悩むほど思い苦しむほどログというものに固執する必要はないのです。

それでも「自分の成長のため」とか「人生のため」とか考え、血涙しながら記録を続けなければなければならないのであれば、それは重圧から耐えられる者だけに与えられる幸福のような感じがしてしまいます。

ライフログは己が為。

苦しみ思い悩み、精神までなぶる必要はないのです。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。