「文才」は必要です

文章を書くには「文才」が必要です

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文章を書くには「文才」が必要です。

何かを伝えるという目的を持って書かれるブログにも「文才」は必要です。

 

 

 

 

 

 

…………。 

 

 

 

 

 

 

「いやいや、待て待て雪見さん」

 

 

 

 

 

 

そう言われますよね、そりゃそうです。

最近、多くの方がブログに「文才」は必要ではないのだよと記事を書いています。

そのなかで「文才は必要だ!」などと言って、果たして説得力があるのか否か。

もちろん私も「文才」は必要ないと思います。

でも「文才」は必要ではありませんが、必要な「文才」もあります。

 

 

……意味がわかりませんね。

ここで「文才」とはなんなのかを考えなければなりません。

 

「文才」=「なんかすっげぇ超感動的な文章を書く人が持っている得体の知れない超能力」

 

というのは言いすぎですが、多くのひとは「文才」と聞くと「文学的才能」を思い浮かべるのでしょう。

文学的才能とは、多くが言葉選びのセンスや感性に依ります。 

その人が書く文章からは、大量のエネルギーが伝わってきます。

テニスやヴァイオリンが凄い人と一緒。

これは生まれ育った環境やそこで育んだ感性に寄るところが大きいのです。

それらを備える人と同等になろうとするのは難しいのかもしれません。

まあいますぐ追いつくというのは、なかなか無理な話です。

 

 

しかしこの「文学的才能」を持つ人(持っていると評価されている人)は、本当にわずかです。

ましてやその人がブログを書いている、書き始めようとしていることも稀です。

(そんなひとが近くにいたら、ホント大切にしてください) 

ですから、ブログを書くうえで「文学的才能」のあるなしを考える必要はありません。 

周り見渡しても少ないのですから。

「文学的才能」があるというのは、初めからロトの剣を持っているようなものです。

  

 

必要な文才

しかし「文才」にはもうひとつの意味があります。

こちらがブログを書く上で必要になる「文才」です。

それは「文学的才能」ではなく、「文章を書くスキル」のこと。

ここでいう「文才」のあるなしというのは「生まれ持った天賦の才能」のあるなしではありません。

「無意識に(意識的であっても)実行出来る文章技術の総計の差」であります。

文才があることとないことは、埋めようのないアドバンテージではなく、積み上げた経験値の結果なのです。

 

まず、伝えたい気持ちで本当の伝わるのかどうかについて考えます。

うまいと感じる文章に含まれる要素というのは、 

 

「伝えたいことが明確である」

「読むに耐えうる構成を備えている」

 

であります。

前者の「伝えたいことが明確である」というのは、皆さんが感じるようにブログを書くのに必要な「伝えたい思い」です。

後者の「読むに耐える構成を備えている文章」というのは、伝えたい思いだけではなかなか達成できません。

皆さんお分かりのように、伝えたいことをより正確に伝えるためには技術が必要なのです。

  

 

「伝えた! 俺はっ、このっ、渾身の記事でっ! これを伝えたぞ!」

「おお! パッション! パッション! うぉぉぉぉっ!!!」

 

 

という情熱は、確かに文章を書くのに必要な一側面です。

でも伝えたいことが複雑化するにつれて、その情熱だけで本当に読み手を考えた文章が作れるのかどうか。

ムズカシイことを伝えようとするならばなおのこと。

いずれぶち当たる壁でもあります。

伝えたい思いに、文章がついてこない。

そうなってしまった場合、どうすればいいのでしょうか。

 

 

「伝えたい」は衝動「伝える」は技術

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photo credit: h.koppdelaney via photopin cc

 

思いに文章がついてこないと感じた時、文章を書くことに対して大きな挫折感を味わいます。

この挫折感が厄介なのです。 

それを測る術がなく、なおかつ自分でもはっきり説明のしようがないのですから。

身体の中にあるもの(伝えたいこと)を文字として表すことは、

それを的確に言い表す言葉を知っていて、それを選ぶことが出来るということになります。

嗚呼、なんと難しいことか。

 

しかし、ブログを書くうえで誰もが達成したいことがあります。

「伝えたいことを書きたいように書き、伝えたいことを伝えたいがままに伝える」

果たしてこれは可能なのでしょうか。

ここで考えたいことは以下のふたつです。 

 

「伝えたい」は衝動。

「伝える」は技術。

  

「伝えたい」は衝動です。その衝動だけで文章を書いていくと、先程の壁にぶつかります。

むしろこの壁というのは、ブログを書くにしてみればある程度書いた記事が溜まってきて、

「うーん……アクセス数が伸びないな。みんな読んでくれてないのかな」と思い出す頃に出現します。

そこを乗り越える、人に「伝える」という技術が必要になってくるのです。

そしてそれを活かすのは「書く」という技術なのです。

皆さんは国語が苦手でしたか?

でもこの世の中で人に何かを伝えたいとき、それはもはや学校の国語の問題ではないのです。

何もせずに、諦めてはいけません。

いますぐ身につく魔法はありませんが、育むための方法はあります。

なんせ「伝える」は技術なのですから。 

 

 

ではその「伝える」技術はどうすれば習得できるのか。

数多の文章作成術が溢れていますが、その中でもブログを書いていく上で役に立ちそうなものを2点ほど。

 

(1) 伝えたいことが書いてある箇所を把握する

伝えたいことが書いてある箇所、段落はどこなのか自分が理解していること。

そしてそれが文章全体のどの位置に登場しているのか。

それがわかってくると以後「そろそろ書きたいことを書くところだ」と、今まさに書いている文章の勘所がわかるようになります。

 

(2) ブログの読み方をちょっと変える

他の人のブログを読むときは「このひとは何を伝えたいんだろう」と頭の隅に置いて読むこと。

「これ神アプリ、超やべぇ」という記事であってもです。

「なにがどうやべぇのか」「この人にとって神アプリの基準ってなんだろう」

そう考えていくと、自分の伝え方は読み手にどう受け取られているのか。 

「自分で書いた文章ながら他人が読んだように」読み返すことができます。

 

 

この他にも探せば方法は見つかります。

どんな記事でも文章として今そこに存在させる以上、

誰かが読むということに対する工夫と挑戦、そして責任が生じます。

もっと多くのひとに読んでもらいたいのでしたらなおさらです。 

 

ブログを書くために、全く「文才」が必要ないのではありません。 

「文才」は文章を書くにあたっては磨くべき靴であり、道具であり、武器なのです。

「伝えたい思い」を育み、そして「文才」を磨いていきましょう。

 

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。