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反応すること、それを選択すること

『7つの習慣』という本があります

 

世の中には多くの啓蒙本が溢れていますが、その中でも名著というものがあります。

 

私は中でも「7つの習慣」という本がお気に入りで、購入してから4年経ちますが今でも本棚の重鎮として存在しています。

 

「7つの習慣」がすごい点は、夜に溢れる啓蒙本のベースとなっていることです。

 

つまるところ、他の啓蒙本を読んでも「ああ、これは『7つの習慣』で言うところのあれだね」と内容を置き換えて考えることが出来るのです。

 

すべての啓蒙本と補完関係にあるといっても過言ではありません。

 

そしてこの本に書かれていることと真っ向から反抗するような啓蒙本がない

 

(……かどうかはわかりません。でもそれはかなりアウトローな本となりどうも実践不可能な自伝となっていそうです)

 

ということも、この本の啓蒙本の中での立ち位置を際立たせているのかもしれません。

 

『7つの習慣』で書かれていることの多くは、夢を達成した人々が書いた成功本のように汎用性のないものではなく、かと言ってすぐさま効果が出るほど簡便なものでもありません。

 

しかし、そこに書かれた多くのことは今の自分にしてみればちょっと背伸びが必要なことかもしれないけど、決して実行不可能なことではないのです。

 

「7つの習慣」とあるだけに、実行できることが7つあるのです。

 

でもそれらすべてを今すぐ出来るわけではないのです。これについては「公的成功は私的成功の上に成る」としていて、自身の行動を変えていく結果として周囲との関係改善、また自身の成功につながるとしています。

 

私的成功といっても、「他を差し置いて攻撃的に成り上がる」ということでは決してありません。

 

反応を選択できるとはどういうことか

 

 そんな『7つの習慣』の中でも「反応を選択できる」という言葉には目からウロコでしたね。

 

―― なんの?なんの反応を選択できるというの?

 

例えばあなたは誰かに腹をたて猛烈に怒っています。

 

怒りが体の底から湧き上がり、「私を怒らせたのは貴様だ!」

 

心のなかで叫んだ直後、あなたの口からはその人に対して罵詈雑言が飛び出します。

 

―― 当たり前じゃないか、私は怒っているのだから

 

そうです、あなたは怒っています。

 

その人の何に怒っているかはわかりませんが、あなたは怒っています。

 

いえ、言い方を変えましょう。

 

あなたは「怒るということを選択しました」また「あなたはその人に罵詈雑言を浴びせることを選択しました」

 

これが何を意味するか、おわかりでしょうか。

 

―― そんなこと当たり前じゃないか!むしろ怒るのをあんな奴のためにがまんするなんて馬鹿馬鹿しい!

 

まあまあ、そういきり立たずに。

 

あなたはあなたの感情に従って反応しています。

 

当たり前じゃないかと言いますが、その反応をした以上はそれ以外の反応をしなかったことの裏返しです。

 

ばっちり反応を選択したと言えます。

 

それ自体が悪いこととという気などありませんが、その反応によって引き起こされる結果もあなたが選択したこととなります。

 

家に帰ればイライラしながらシャワーを浴び、Twitterに「本当最低な野郎だ!」と投げます。

 

布団に入ってもイライラは続き、翌朝は最悪の寝起きとなるでしょう。

 

その結果、あなたは本当に望んだのでしょうか?

 

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『7つの習慣』に戻りますが、「反応を選択出来る」ということは、「反応の結果に責任を持つ」ということになります。

 

自分の反応を感情に従わせていては、その結果起こる出来事にはどんなコントロールも効かないことになります。

 

「怒鳴る」という反応をしたあと、それによって引き起こされる出来事はなんでしょうか。

 

もし反応を自身で選択出来るとしたら、その反応によって引き起こされる出来事を多少なりともコントロール出来ることになります。

 

もしそれが自分の突発的な感情に支配されていた反応だとしたら。

 

それをすることによって未来をめちゃくちゃ(何年も先の話ではなく、今日のシャワータイムが最悪になってしまうとか)になることが考えられますか。

 

誰しも自らの望んで最悪に進みだすのでしょうか。

 

感情に支配された反応をしそうになったとき、ちょっと、選択してみてください。

 

 

それでは、どこかの誰かさん。あなたに彩のあるカラフルな日々を。

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